すきぞ
陽気な家がしゃべっているのを文字にしたらそれは小説みたいだったので、小説みたいですねと教えてあげる。文字になれば大半は小説みたいなものだけど。逆に文字でないものは小説ではない。小説に必要なのはストーリーでもキャラクターでもなく、文字なんだよまったく。意味のない言葉をつなぎあわせてはきだしながら、わたし達がそこに意味を見出そうとするさまをにやにやしながら見つめていて、ほんとうに、きみっていう家は!
世代っていやがおうにもあるもので、会社とか職とかにもやっぱり世代みたいなものはあって、しかし親会社と子会社が親子かっていうとそうでもなくて、単純に新しいかとかいる人の年代とかなんだと思う。いつの世も若い人は若い人たちで組んで新しい会社を、居場所をつくるべきと思う。そこに年代の高い人がいたっていいんだけど。割合の問題で。
時代が変わっていくのだから、人も、法人も変わっていくのが道理ってものではないか。老いて存在することだけが目的になるとつらいよね、と法人に対して思ったりする。悪いことではないし、貶めたいわけでもないんだけど。生き残っていくためには工夫が必要で、それを怠ったとか(言いたくないけどさ、年上の人は尊重したいよ)単純に若い人が入ってこなかったのかもしれないけど。
人間は、生物はどうあがいても死んじゃうけど、法人格は(理論上は)生き続けることが可能だから勘違いしちゃうんだろうな。変わるのが怖いっていうのもわかるし。
……
みたいなことをPCあんまりわかっていない人々の中で考える。わたしはわたしでしかない線上に急に法律の条文みたいなものがやってきて驚く。こういうものを全然読んでこなかった(漢字が多くて難しい!)、読んで理解した方がいいのかな、、不安になるけれど、じつは周囲の人間はわかっているふりをしているだけなのだ。がんばって読めばわかるし、身体化することもできるのだ。わたしはかしこく、柔軟だから。なんつって、その反面、自分がしっかりしていなくてすべての価値観をとりこまないといけないのかと考えてしまう。まじめか。けっきょく自分がないのだった。なんつって。しかし一皮むけば自分はあるのだった、「ここは嫌だな」。困ったな。
折り上手
心が折れた瞬間、また気づいてしまった。わたしではない人の。仕事を組んでやってる人の。わりと心っておれるんだなぁポッキンポッキンと。折ってきたのはわたしのを折ったのと同じ人だったから、たぶん、なんかプロなんだ、そうゆうのの。
また冷え込んできて足先の冷たさにきゅるきゅると芯が和紙になって縮こまっている感じがする。寂しさでも悲しさでもいらだちでもない気持ちがある。湯たんぽは今年はもうおしまいと決めたので出すわけにはいかない。担当美容師は冬物のコートをクリーニングに出したといっていた。そういうんだ。
中庭の桜が踊り場のたびに、二階、三階、四階と見せる角度を変えて花見に立体感を持たせてくれていたのが、雨のせいなのか上の方から花びらが落ちていって、上から見たときには欠席が目立つしみんな下を向いているし濡れた細い枝の間から厭らしい緑がにょきにょき顔をのぞかせていて気持ち悪いと思ってしまった。