紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


前にしか進めない(?)

Appleの? スマホの? 思想みたいなのをきいたときに、基本的に前にしか進まないみたいなことだったので、衝撃をうけた。終了のコマンドはなくて、できるのはホーム画面に戻ること、続けて他のアプリケーションを重ねていくことなのだ。当初はホームボタンを二度おして、アプリケーションを解放するのって一般的でなく、何もかも机の上に広げていくだけだったイメージ。それをして、過去は振り返らない(終了しない)、前に進む(アプリを重ねていく)のみ、と言っていた印象。もしかしたらアメリカ人みんなそうなのかもしれないけど。だから何だといわれれば困ってしまうが、時間は前にしか進まないのだからそれは正しい気もするし、適切に終わらせていく(終了の×をクリックするだけでも)ことをしていかないと、いつか机の上ごっちゃごっちゃになるでという危機感。適切に終わらせるのははじめることより難しいけれど(維持するのも難しいけれど)。

ふと、「あ、前しか見えてない」と思うことがあり、自分にしても他者にしても、そういう瞬間はあり、ふだん使用しているデバイスが思考に影響を与えているのかもしれないし、思考が先か、デバイスが先か、みたいなことを考えたりもするけれどまあどちらでもいい。わたしはその状態に気づかないでいるのは嫌だなと思うんだった。そんなこんなで「大」ばっかりとりすぎているゆえの弊害もあるなとも思うけどね。

 

いろんなことを濁して濁して書くせいでどこにもだれにも届かないなーんて気持ちになる。「大」をとりすぎるのはよくないけれど!(これはわたしがしている謙遜かつ牽制だから!) もーちょっと「大」をとってくれ! と思う思います思ってるたのむ、みんな!! 啓蒙というと偉そうだし、そもそもなにが一等かなんて言いきれないし、それでふわふわふにゃふにゃしてしまうのだった。ことが全部わたしひとりで終わればいいのになー。みたいな。みたいな感じです。