紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


考え事

もう話すことのない人たちが夢に出て、なにがしかの役を与えられているのをみると、わたしの内にまだ登場人物として登録されているんだと思う。そうなんだ、って感じ。登録の消し方はわからない。消せないのかも。反対に、まったく知らない人も出演してるから、それはどうなってるんだろう。飛び込み可の舞台なのかもしれない。わたしはその中にいたりいなかったりする。演者たちのリストをひろげてみると、わたしの世界は縮小したなと感じる。ほんとうに必要なのは数名の友人だけなのだけど。気の合う人とはどんどん出合っていきたいけどね。

「地元」のある人にあこがれていたのだと思う。でもそれは真に地元ではなく、都会の人が思うような田舎というか、都会に対する田舎、人が温かい、面倒だけどやさしい、みたいなの、たいがい嘘ではと個人的に思っているのだけど。田舎は粗暴で混沌で乱雑なのだ。このへんのことは何度か書いた気もするけれど。それでなんだっけ、「地元」のある人ってけっきょく面倒事が大好きで地元にどんどん首をつっこんでいく人だっただけで、その人の性格によるんじゃないかな(そんな性格の人は、地元でなくてもいろんな分野業界で首をつっこんでいく人種だ)。みたいなことを。でも疲れてしまった。

かかわらなくてはいけないことが、自分で対応しないといけないことが大量にあって、それを助けるツールはだいぶ発展しているのだけど、自分が二人になるわけではないし悩まないといけないことが増えていくだけという印象。家庭での分業が効率よいとしたら、もっと大きく社会的に分業していった方が効率よいはずだよねぇ。でもなぜかひずみが起きている。なんでだろうねぇとか考えている。わたしがいる。ほかの人びとがいる。それらがすべて個人である。そのことを考えているとおかしくなってしまいそうなのであまり考えないようにする。