いっしょうここで単純作業をしていく
ことは不可能ではない。し、不満はあれど許容できる範囲であり、ぬるぬると笑ったり泣いたりしながらやり過ごしていくことはできるだろう。という気が強くしてきている。退職願を出してからこっち。
そうした時間の流れは表面上のものであり、こころに耳をすましてみれば雪解け水のように地下を伏流するささやかな水音があるのだった。そのときわたしは大地であり上の地盤と下の地盤とがまったく異なる材質でできていて、まったく異なる目的のために異なる動きをしていると思う。わたしは笑い、おしゃべりをし、親切にする。穏やかな時間はしかしなにも動かしはしない止まったままなのであった。その中で生きていくことは永遠の若さを手に楽園にいるようなもので、しかしわたし生物は歳を経るのであった。
時間を止めているのはわたしであり、もっといえばそういう思い込みに囚われているだけなのだけど、一方ほかの住人は着々とみずからの時を進めているのであった。口では「ここで楽しくやっていこうよ」なんて言いながら。
そうまでして隠しておきたいものは何だったのと自分に問うが、答えはとうに知っているのであった。口にして見とめたくなかったのであった。いろいろなことを難しくもいえるし、これで充分という気もした。たぶん。これからもなにも言わないと思う。地下水のことはわたしだけが知っていたらいい。
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これまでポーズであっても嫌っていたものがなくなってしまったら、次は身近にいる人をうとましく思ってしまうのではないか、と心配になる。同一の敵がいると一致団結するみたいな話である。それが無くなったわたし(たち)は仲間でいられるか。それどころか敵にならないか。というところまで考えて、この不安の方がむしろ敵で、その可能性まで考えられたのだから、そうならないようにしたらいいってとこまでわかった。わたしに頭があってよかった。万歳。
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すべての人は安定を求めているのだと漫然と考えていたけれど、どうもそればっかりでもないらしいと考え至った。わたしはどうであろうか。自由に近づいて、そんなことを考えた。