紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


超超超いい感じ

あっという間に一週間が経っている。おそろしい。10月も駆けていってしまっている。今日から数日間実家に帰ることにしたけれど、もはや気が重くなっている。

先週、バンドのライブに行って、みんなが動くのを見たくって目をあけていたけれど、するといろいろが言語となって頭の中を駆けていくので、勇気を出して目をつむってみたら、行先のわからない映像が目蓋にうかんで流れていく。目の端の虫を直視できないような感じで左右にちがうイメージがあらわれて変わっていく。ついには泣けてきてしまった。目をあけていたときは、あらがっていたんだ、と思った。無防備だったが、できるなら泣きたいと思っていたのでちょうどよかった。ずっとずっと泣けた。でも明るい曲は目をつむっていても笑えてきてしまったので、この音楽たちはやばいと思った。

週末はまた詩の会みたいのにいって、読んだり読んでもらったりした。とはいえ、自分の読めなさとしゃべれなさには驚く。読める、と思ったのは作者の意識が見えるような気がして、そもそも読む気になれなかった。あてられてしまったので、そのことは正直に言ってしまった。すげーーーーーーーーーー傲慢だな! と思って、わたしが傷ついている。自分勝手すぎるでしょ。はははん。

ブログも最初はびくびくしてたけど、今では慣れてしまって(全然読まれてないのもあるけど)、放言である。その会でも傲慢になっていくのかな。その前に申し訳なさ過ぎて行けなくなってしまうかも(でもそう思っているうちはまだまだっぽい気もする)。しかし、物理的に身体があって、そこに行って顔をつきあわせて声をきくことの重さにやられている節もある。会のあとにお茶会を、みんなしてるんだって。元気だなー。お茶会の方が本番って思ってる人々もいるに違いない。勇気が出たら参加しようと思ってるんだけど。思ってはいるんだけど。

イデアとか(笑)

仕事できるかもと思ってPCを持っていったけど、そんなわけはなく、すごく軽いと評判のノートPCだってけっきょく1kgはあるわけで、とにかく今朝からわたしの肩と首はばきばきである。冬のかけ蒲団を出しまして、晴れ間に少し干した。夏のかけ蒲団とシーツも洗ってさらさら干せた。朝はほかほかで起きられてすばらしいことに、同居人の足がにょっきりと出てきていたりして、わたしは眠っているかれのかたちが好きなのだよ。いつも変なかたちと思って見ている。そのときに起きる奇妙な気持ちは甘酸っぱくてめちゃめちゃ純度の高くて恋っぽいとか思うのだけど、かれがめざめて動きはじめると思ったようにいかないのに冷めるので、すごく自分勝手な感情なのだと思う。イデアが好きなんだよ。それと似たような感情が実家にもあって、遠くにありて思う実家への思慕は目を細めて涙ぐんでしまう完璧で、でも実際に帰ってみると不愉快がたくさんあって幻滅してしまう。とことん自分勝手なこれらの気持ちをもてあましている向きはある。

昔の職場のお食事会によばれて、オオ、3年ぶりはたまた2年ぶりの面々。個人的に連絡とってる人もいて先週ぶりですねと思ったりもするが、おくびにも出さない。積もる話もあるような、がやがやとして会話と意識は散逸して混みいった話はできない。みんな仲良くて変わらないのんと思って、ああわたし何が嫌だったんだっけと思ってみて、みんなの明るさが病気みたいで怖かったんでした。だから、たまに会って楽しい時間を過ごすのは大丈夫。とはいえ、彼氏できた? って言ってそれを全体のネタにしようとしてくるとことか、そういうコミュニケーションのとり方がしょうもなすぎて、うるせえわ、と思ったりした。一部、具体例をあげて怨嗟を披露してしまったぜ。まあでもこのうるせえわ、伝わってなくて、ワッハッハで消費されたのでむかついていたりもするよ。仕事と仲間の区別がないのが合わなかったのだ、と今思った。

純粋なもの、完璧なもの、イデアとして、それがありそうな気がしてしまうのが怖いのだった。なにかありそうな会に長居をしても最後が寂しくなるだけだ。そんなもの、実際にはないのだから。同居人に夕食をつくらねばと思って途中で帰った。少し会っただけで、こころがゆさぶられて日記をたくさん書いてしまう。そんな日々があった。さて、生活はつづく。