紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


インターネットにありがとう

ジオシティーズなくなるっていわれて、それは大ニュースなんだけど、寂しいけど嬉しいと思ったの、同居人には伝わらなくて、いやでも絶対嬉しい人いるからねと思って、Twitter検索するよねー。つまり、パスワードを忘れたとかメールアドレスが使えなくなったとか(それも今は亡き無料メールサービス)そんな理由でどうもできない皆様の歴史がインターネットに漂っていること、もちろんわたしのも漂っている!! あと同じ理由でmixiも置きっぱなしだ。でもそこからなにがしの問題提起をするわけもなく、本人(達)も忘れていたものを十年以上守り続けていてくれたこと、単純に感謝する。現役で更新している人には悪いけど、消せない過去を持つもの代表としてまあ消えちゃってもしょうがないよねと言いたい。ただ、そんな忘れられた過去も本人以外が閲覧できるのがインターネットで、本人はどうでもいいと思っていたものを役立つデータベースだと思って参照していた人は歯がゆいかなと思う。現在では信じられないことだけど、インターネット黎明期の個人ホームページは自由研究の場というか、オープンにされていなかったり共有されていない情報を各自が調べてせこせこネットにのっけていたのだった。ものすごいアマチュアリズムだった。企業のページより豊かな個人のページがたくさんあった。そんなことを思い出す。現代を批判したいわけはもちろんなく、あの時代から養われたものたくさんあったろうなと思う。しかしまあ今は便利になったよねーーーーーーーみたいな気持ちになる。インターネットおばあさんである。

そりゃあ、好きになり方は人それぞれなんだけど

物語とふれたときに細部をおぼえてなくてすぐに忘れてしまう(ということは何度も書いている)。自分のうけた感触とかふわっとした筋、教訓はあんな感じ、みたいな記憶のしかたが多い。いつも新鮮な気持ちで味わえるから悪くないと思えなくもない。

のだけど、忘れてたー! とか思い出した! なんて横で騒がれると嫌だという心持ちもそりゃああるわけで。好きだからこそ全部覚えている。キャラクターの名前もヴィジュアルも細かなやりとりもあの難事件のからくりも!! という人に「え、本当に(その作品を)好きなの?(どこが?)」みたいに言われてしまうと途端にゆらぐ。

わたしはわたしのやり方でいいんだ、とも思うけど、でもそのせいでこの人は嫌な気分になるのだと気づいたら、じゃあ各自! 各自で! ってなってしまうよね。共時に楽しむ上手い方法はあるんですかね。