紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


旅のエモ2018


来られない人をかわいそうといえたのはべつに優しさではなく安全圏からいえる言葉で、なかなかずるいと思うし、でもやさしいふりもしてしまったしでほんとうのきもち宙ぶらりんしている
きらいを苦手と言い換えることでなにかを守り、なにかを失ない、自分では欺瞞だとわかっているから失ってばかり、負けっぱなし、すり減っているのはなぜか他人にはわからない
大きな都市をひとりで歩き、一日乗車券でバスに乗りながら何をしよう、音楽を聴く、本を読む、睡むる、どれも旅人としてどうなのかと思ったのでノートをひらいたりする

100パーセントの純度でいることを演じつつその実なまけものなのだから乖離乖離乖離!

その土地で住むように暮らすこと、そしたら寺社なんてほとんど行かないでお気に入りの場所を見つけて本屋にかようだろう
けっきょくそれがわたしの生き方なのだという気がする

朝早く起きて川べりを歩く、近くの神社まで行く、神様もまだ起きてはいない? 御朱印帳の受付は●時から、御神籤の自販機の合理性!

旅路はエモい、窓の外を未来が過去に車輪はまわる大胆な消費だその無為の贅沢がわたしを潤ませるエントロピーの無駄遣い豪勢豪勢

お金をつかうべきか問題というのがあって、旅先でつつましく過ごすか、せっかくなのだからけちりなさんなの折り合いのつけ方学んでないなと思って、とりあえず後者に倒れてみて、でもあとには引越しの荷物が積まれていくだけで消耗してしまう

意味ある時間をすごしたい、無為を無駄と読み替えてしまう心性がせせこましいやい、自分と自分の好きなことを前向きに受け入れたいという気持ちになる(する)

旅の本、決められなくて電子書籍便利だなと思いながら情緒の欠如! 身軽にみえてすべてを持っている慾張り 持ち物すべてクラウド化するのはミニマリストといえるのか? 会議にかけたい所存です

わたしだけのエモ

ひきつづきエモめな気持ちでいる。気候も関係あるかもしれない。寒さはすっかりやる気をなくし(もう寝る時間なのかもしれない)、季節のネジがゆるんでくる。意図せずと、わたしのからだもゆるんでいる。暮らすのが楽だと楽だ。しかし花粉症の人は憂鬱そうなのだった。

具体的なことを書くのは苦手なのだけど、以前の職場の人たちのことを考えると、ものがたりの人たちみたいでキュッとなる。エモさが増す。わたしがその人たちのことを愛おしむとして、たぶんそれは物語的だからだろうという気がする。かれら彼女らにかかわらず、すべての人は現実と切り離されると物語的になる。自分の影を切り取って空へただよわせる(『モモ』だ)ような、その影は甘く優しく辛く悲しくわたしの心をくすぐる。実体は嫌になることばっかりなのに。

自分に恋愛というものはないのかもと思いたくなるんだけど、なかったら悲しいからあるのかもしれないとも思ってみる。でもない方が楽だなとも思う。恋愛感情、ほかの感情もそうだけど、全員が全員ちがう主観を持っていて、それをひとつのくくりにいれるの随分と乱暴だと思う。嬉しいとか緊張するとか悲しいとかキュンとするとかの些事をまとめた次元の違うものなんだろうと想像するけれど、その中身は人それぞれだった。すべての(もしくは統計の)データを集めて、そこまではいいけどそれを個人に帰すことってできるんだろうか。クリスマス会のプレゼント交換みたいな気もする。みんなの感情を集めてもみの木の下において、時間がきたら適当にぐるぐる回す。歌が終わったときに自分の手元にきたものは(だれかの)感情ではあるし、「プレゼント」ではあるけれど、自分の感情ではない。でもそれを抱えて帰らなくてはいけない。プレゼントだったら嬉しいものが入っててにこにこ帰ることもできるけれど、承服しかねる誰かの感情を押しつけられて納得はできないのじゃないか。でも雑誌とかインターネットとかで統計を出されたり(ときに統計ですらないこともある)、みなさんこうですからーと言われたらそんなものかと思ってしまったりもする。不思議だ。