紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


テレビ迎えの儀

テレビがきたらピザを食べようといっていて、ここに来てはじめての宅配ピザを頼んだ。ピザはどれも同じに見えるといえば、それはピザへの愛が足りないのだと返されたけれど。ピザはおいしい。おいしいが、丸い生地の上に赤と緑とチーズが乗っている。だけ。以上、ピザへの所感でした。チーズにはちみつをかけて食べるのが好きなのだけど、食べてるうちにカロリーとりすぎでっせのぞわぞわが頬の下の肉を撫でる。とり肌が内側にやってくる感じ、わかる? といえばわからないと言われ、サイドメニューのポテトとチキンナゲットがジャンキー感を増してきて、うわーカロリーに殴られるーとかいいながら、コカコーラ、アメリカ人か、コカコーラゼロだから大丈夫ーっていう会話。

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コーラのペットボトルに謎の文字が印刷されていて、しらべたところ、オリンピックの関係で「世界でいちばんの○○」がランダムに記載されているのだという。なるほど。サイトの北島康介の強い顔をながめていて、そういえば出かけた先でこの顔を見たのを思い出して、あれももしかしてコーラの広告だったのかと思い当たる。広告なのに頭に残ってなかったの、たぶんわたしのいろんなものへの興味が著しく減退しているのだけど、わたしはそのとき、北島康介の顔、めちゃくちゃ見てた。こうして見ていられるのだぞ、というきもち。そしてなにも感じないのだ。

 

テレビをつけていると、ずっとずーっと情報を流し続けていて、やべーと思う。やばい、という形容するのなにも語ってない感じがすごいけど、恐ろしいが一番近いんだけどやっぱちょっと違うので、やばい、が一番しっくりきてしまう。完全にわたしの意志を無視して情報量だけがやってきて、わたしはのみこまれまいと思う。抵抗するためにやべーといって脇におく。観たい番組だけ録画設定をして電源を切る。隣のPCでabemaTV(ネットのテレビ)をつけてみたりして、テレビの威厳はどこへという風もあり、こちらはCMがないのでそれほど情報という感じがしない。観たいものを観よう。でも番組表とかいってザッピングしはじめると同じなので、こちらもブラウザをとじる。

不可抗力

テレビを買った。わたしも同居人もテレビを買うのははじめてだった。今まではPCのテレビのアプリケーションでちまちまと視聴していたのが調子が悪くなったのだった。何を買うべきかわからなかったので、同居人をテレビ購入担当大臣に指名、メカっぽいものは大好きなので特に文句は出なかった。何度かのプレゼンを経て、「まかせる」と返していた(とあるテレビではHuluが観られるらしい)。知らぬ間に技術は発展していて、大きさの割に軽い箱が玄関に届いてある。同じサイズのブラウン管のテレビは立方体という感じがしたけど、現状は板だ。生きてるうちにテレビを買うこと、またあるだろうか。そのときはどうなってしまっているだろうか。

昨日今日と予定がなく、パンでも焼こうと思っていたけれど結局寝て過ごしてしまった。やるべきことに対しての身体エネルギーが下がってきているのを感じる。元気の出し方がわからない。こんな自堕落な生活をしていて見放されないか不安に思ったりもするけれど、一生一緒って不確かなのに確信されている信仰みたいで(漢字のしりとりだ)、そうしてやろうという意志がなければならないようで、しかし惰性みたいな面もあり、はてさて。わたしは楽な方に流されたくて、でもどこかで意志説が正しいのではないかと感じているのでは。不確かな時代だからこそ、人間のすべきことはせめて意志をあらわすことなのではないか、みたいな。努力はしたんです、は何につけてもいいわけになるしアリバイみたいな感じもある。でも努力はダサいなーという感じ、いやいや流されてるのもダサいぞ。とか。意志もって流されたい。いや、流したい?

公演中止による払い戻し、という憂き目にはじめて遭い、いえでも憂き目なのは怪我をしたメンバーたちであろうとか思いながら、券面の裏を見てみると、小さな字がたくさん書いてあって、はじめて読む。基本的に払い戻しには応じないが、不可抗力による興行中止の場合は払い戻しいたしますとの由、注意書きの七つ目と八つ目は「不可抗力」ではじまっており、難しくはないのだけど強いかんじのある四字。