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紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


三男はわがまま

うまい角煮というものはこの世にたくさんあるのだろうけど、とにかくうまい角煮ができたので満足。それは昨日の話。朝に鍋をのぞくと白いかたまりが浮いていて、これは脂! そそくさと除去作業をする。きりのないこと。

なんだかばぐってると思ったりもする。なにを書くのか、書いたことがうまくはまってないと思ったり。具体的に書いても野暮だしつまらんし。書くことがさだまらず気持ちがうわっついてるのかしらんと思ったりして。ギアが全然からまわり。すぐにわからなくなってしまうから、ブログに「目的」とか「目標」とかを定めてみたりするのかもしれないですね。

紙の日記に書くときはのってなくても順番にできごとを書いていくとなんとなく形になる。しかしウェブログだとそれではいかんの意識がはたらくから、やはり日記とは少しちがう日記、なんだろうなとか思うのだった。書く、ことを思いつくのは移動中とか入浴中、読書中とかはたまた仕事中だったりして、そうするとああ書くってことは”書く”の中にないんだなぁとか思ったりして。わたしが書いているのはいちおう日記なのに、それでも自分の中のものだけでは完成しない(と感じる)。小説やら論文ではないのに参考文献が必要だとか!

それで懲りずに保坂和志の本のことを書くけれど、やっとこ読み終わってヤア示唆に富むよい御本でした。ということに。前回に、書いてあることがわかりすぎて自分とシンクロしすぎて保坂和志はわたしなんではないかとか不遜なことを書いた先からひらいた続きのページには「本の内容を簡単にわかった気になるような読み方はうんたら」とか書いてありまして、ワハハ、つって、保坂先生の方がやっぱりうわ手ですわねと思った次第。なのだった。

子ども。幼児。乳児。の性格、どう育つかどう育てるか以前にそもそもの持ってうまれた性質があるというようなことをまあまあききますが、たとえばそれは母親の胎内にいるときから発揮されるのでしょうか。出産予定日。よりひと月経ってもうまれずに、けっきょく帝王切開と相成りましたが、お腹の中でも産道におりてく気配もなかったという赤子、これがのちのわたしなのですけど、うまれる前からのんびりやなんてことあるんだろうか。せっかちな(のちにせっかちな子どもになる)赤子はそのせっかちさによって早くうまれてくる、というような。

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(このあと、せっかちな長男の次はせっかちの後片付けを(お腹の中で)するから次男は綺麗好きとか言われたので割愛)

妹1は帝王切開引っ張り出され姉を知ってか知らずか朝に自分からでてきたしっかりもので、妹2は心臓が悪いのでは疑惑で帝王切開2だったけど、べつに心臓どっこも悪くないし! なうっかりものでした。うまれた時間をもじって昼子、朝子、夕子と冗談で呼ばれたりしていた。実家には外国の昔話を集めた本があって、三人兄弟(姉妹)の話がたくさん載っていて、それによると三男(三女)がつねにうまくやる話が多く、のんびりやの昼子はちゃんと生まれてきた朝子となんでもうまくやるはずの夕子が羨ましかった、というようなことを思い出した。

下の妹とは歳が離れていて、そのときにわたし達はもう小学校の低学年だった。彼女のうまれた日時は父親によって小学校の担任に知らされ、学級通信(今もあるのだろうか)に掲載された。