紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


はしから全部受け取ろう、そして全部すてて、贅沢だね

 

soulkitchen.hatenablog.com

 

先の記事についてひとつつけくわえるならば、自分のことを特にのんびりとは思っていないんだよなぁ! 気のつくのが早い方とか思ってるんだけどなぁ。しかし、この世にあらわれるときから人まかせだったという事実にはさすがに落ち込まされるのだった。

 

書くことと自分のバランス、は、天秤、よりは計算尺みたいなイメージなんだけど、計算尺はどちらかに寄ったところで傾かないのでたとえとして適切でないのだが、どちらに寄り過ぎてもいけなくて、いけなくはないんだけど、結果として、わたしは、おかしいな息ができないぞ、みたいな感覚におちいるのだから、やっぱりよくない、という感じがしている。計算尺をつかっている間にあの合わせるやつがいつの間にか、自分、の方に寄ってきてしまうんだ。とかいいながら、計算尺つかったことがないのだけど。わけがわからなすぎてわからなかった。使いこなせてたらたぶん異なる比喩になりうるんだろうな。

コンピュータに向かっていないときの方がよっぽど文章がうまれていて、頭の中をくるくるとわぁ、東京株式市場、とか思うけど、これもよく知らないゆえのイメージ比喩。これらを全部書き留めたいな忘れたくないなと思っていると、こぼれないようにそろそろ歩き、手帳やメールの下書きなんかに書きつけるという感じだったのだけど、その何度も出てきて悪いけれど、保坂センセーは書いた文章を何度も捨てて書き直すというようなことを言っていて、そのまま自分にあてはめるのは適当ではないかもしれないのだけど、とても気が楽になって、事実いくつかの段落を無慈悲に削除してみたけど逆にすっきりした感じもするし、大丈夫大丈夫と思いながら、いらない衣類もだいぶ捨てたので、なんか、そんな感じ。文と文とをスムーズにつなげようとして入れた一文がどうにも浮いてたまらんってなることもままあったし、まー、なんか、もう、いっか、って。

 

インターネットの記事で、某クロで買うべき靴下ベスト3とワースト3というのがあって、本当にこういう記事ってどうでもいいよなーとか思うのだけど(あと、買ってはいけないワースト3、みたいな書き方をするからわけがわからなくなってしまっている)、でもそのワーストに入ってたアニマル柄の靴下、ださくてめちゃカワではと思って仕事中にこっそりそのタブを何回も見てしまう。

 

会社の人が配布物のデザインの案とかを尋ねてきて、まあ提案をしたりもしたのが、しかしその人たちにはどうしたいというビジョンがなく、先人のものをもらいたいだけという風に無難な画像を検索していたりして、こういう態度は世の中で一番つまらないし、罪、と思った。深く思った。仕事をしていると前例、とか、無難、みたいなものに何もかも近づいていって平均化されそうになって、それは本当に正しいのか、よくわからなくなって、というかわたしはそれは正しくないと叫びたがって、とりあえず目の前のインデックスで少し遊んだ。万年筆はないと思うと手帳にはさまっている。

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