紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


元水/元湯

起きる寸前の意識の膜には薄いところがあって、そこをえいやっと(時に渋々と)突き破ってこちら側にくる。毎朝うまれている。束の間、蒲団のぬくさを楽しんで、今度はえいやっと蒲団の膜を押し上げる。またうまれている。温度の下がった湯たんぽを同居人の足もとに入れてやって、お湯をのむ。あたためた水で暖をとるのってなんだかおかしいと毎度思う。

住むかもしれなかった街というのがあって、変な感じでわたしはそこに立つ。やあ久しぶり。返事はない。微妙な間柄なのだ。駅前の建物には大きな看板ができており、屋上から大きな文字で飲食店を教えてくる。見ない間に雰囲気かわったね、と言いたくて、でもやめる。駅の北と南にはそれぞれ安めのスーパーがあり、鉄道の会社が経営している方は一階にドーナツ屋とケーキ屋が入っている。店内で召し上がることもできる。一番高いシュークリームはキャンペーンでお求めやすくなっているシュークリームの倍の値段であったが、その他のケーキやパイの三角柱群にくらべると半分であった。みっつ買う。

自動ドアから外に出るとやさしい旧正月の光が射していてあたたかい。春にむけてやんわりと準備をする、なにもかもをほどかせるような控えめな意志みたいな日和に、しかし冷たい顔をしながらふたたび駅へ。北口。「にくき〇〇」と唱えながら駅名の写真を撮る。正方形。

ATMの前で同行者と落ちあい階段をのぼる。ふたりともよそよそしい居心地の悪い感じに思えた。南口を少しいくと個人経営の本屋があり、ひやかす。漫画雑誌、料理雑誌、ベストセラーのストレッチ本。この街に置いていくものはこの街で買うべきという気がした。地産地消。同行者は三年ほどこの街に、しかも駅前に、住んでいたが今となっては「嫌々住んだ街」と言い、われわれはこの街に苦い感情をいだいている同士。でも本当は、当初は希望を持って住みはじめたの、わたしはそれを知っていて、だから嘘みたいな変な感情を「ここはよくない場所だ」という名目でごまかしている同士。

用事をすませて帰るころは暗く、商店街の街灯はどれも同じ色で光っていて、何回も見た、嫌いな風景、に包まれながら再度の駅へ。この街のこと、知りすぎている。駅前の合流する角にたい焼き屋があって、そういえばそれは素晴らしい点。どんな街にもたい焼き屋はあるべきなのだ。家用にふたつ買うと、同行者はひとつ買った。

ドラッグストアに寄りたかったと思い出して、少しだけ遠回りをする。ラーメン屋の前にドラッグストア。は、「たいへん、ドラッグストアがカラオケ屋に」。新しいのかやけに白く光る猫の置物の看板に立ちすくむ。わたし達はやっぱり遠くなってしまったのだった。ちぎったたい焼きをふたりで食べる。