紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


シーラカンスの化石

祖母の家に来ている。家から自転車で30分弱。小さな正月だ。しかし現在の祖母は日本で一番ってくらいに正月に興味がない。元日に新年と教えたら驚き、それを毎日繰り返している。

50年以上住んでいるであろう部屋はなにもかもがぎっしり詰まっているが、今や祖母は自分の寝床とその周囲に王国を築きあげ、そこからほとんど出ない。
隅から置いてある衣装棚、本棚。部屋の面積を公平に削りとっている。その前に置かれたテーブルや収納のボックス。さらに上には畳んだ洗濯物が重ねられ、長い時間をかけて地層が形成されたことを思わせる。
たしかに、20年前はこの部屋はもっと広くて、祖母にくわえて家族五人が泊まることもあったのだ。今では積み上げられた周囲に気を遣いながら狭く蒲団を敷く。古い地層には簡単には届かない。
部屋自体が化石のように時間が止まっている。祖母は時間を捨てて忘れて生きているのだ。正月のテレビだけががちゃがちゃとうるさく、その中でも彼女は眠る。

わたしは日に一度の服薬をうながす。時間を教える役だ。祖母は「ありがとう」と言って薬をのむが、昨日のことはおぼえていない。毎日薬をのむことも彼女の意識の外なのだ。孫がきていることは承知しているが、わたしが断りもせず帰ってもなにも思わないんじゃないだろうか。
声をかけても返事がないときもある。聞こえていないわけではなく。たぶん。そういうときの祖母はまるで知らない人みたいだ。いつもの丸い顔が四角くこわばっている。なにも言わないその人と目が合うとひどく狼狽えてしまう。

ここには不安がある。時間を拒否して眠ってしまう人。時間が止まってしまうことと向き合うのは怖い。そして動きを止めたものは生物も非生物もびっくりするほど老化が早い。

時間のことを考えはじめると、エンデの『モモ』のことを思い出す。

モモ (岩波少年文庫(127))

モモ (岩波少年文庫(127))

黒づくめの男たちは人間から時間を奪っていく。作中ではそれは労働とか余暇とか単純な時間のことをさしていたけど。生物の残り時間を奪うと考えたら、それは老化でもある。

齢を重ねるのは悪いことばかりではなくて、すてきなこともたくさんある。ということを知っている。しかし、ある点を越えてしまったらそれは本当にどうしようもなく。朽ちていくだけなのだ。

昼に少し散歩に出た。平行と垂直の路地には低い日光がまっすぐ射していた。日陰は寒く、明るいところを選んで歩く。街には思ったより人が多くて、子どもや犬づれもいた。健康そうな犬が四つ足をすたすたと動かすのに目をとられた。
団地の中の神社すら混んでいて行列ができていた。並びながらスマホで作法をしらべて頭にたたきこんだ。二礼二拍一礼。とか?
本殿と小さな鳥居の先とあわせてみっつに手を合わせた。生知識の礼を誰にしろ見られるのは気恥ずかしい。
御神籤は中吉で、嫉妬を諫められた。なんであれ、ひがみっぽい感情は捨てよということ。かな。そういう心持ちでいられますように。
帰るときに列はさらに伸びていて、人がどこからわいてきてるんだろう。神社の入り口につながれた犬は、わたしを見ることなく主人のいる先を見つめていた。