紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


春にゆうかい

クレジットカードって思ってたよりやわで折り曲げて鋏で小さく刻んでしまう。いろいろな期限とかが重なったらしく、新しいカードが何枚か届き、古くなったものを刻む。しかし、いいのかい、こんな貧乏人にそこまで心(限度額)をゆるしてしまって、、と思う。わたしのなにを信用してくれているというのだろう。会ったこともない機構の人達よ。だからってわけではないけど、届いたら一番に裏に名前を書くよ。ちゃんと書いてる。そういうところを買ってくれてるのかもしれないし。なんてね。

 

怠けぐせがつきつつあって、休んでは家でお菓子とパンを焼いたりしている。靴下をつくろったり、録画してある番組を観たり。後ろめたい気持ちはあるの、べつに好きにやるのはいいけど、それならちゃんとしてから好きにやったらいいんでないの、とか思ったり。誰にみられてるわけでない、いやいやほかならぬ自分の目が厳しすぎるのであった。適当に、ができないんだな。適当な性格なのにな。夜は早く寝たいしな。映画も舞台もみたいしな。勉強もしてるのにな、とか。いろいろ一度にやりすぎで、絞ろうと思わないでもないけど、楽しみを我慢できないし、なかなか困難だ。あたたかい指先からなんだかいい匂いがしてる。眠いからかしら。春にとけてしまいたくなる。

どうやら世界は続くらしいし

21時に帰ってきたら、あーじゃあこれから簡単にごはんつくってお風呂入って余裕があったらブログでも書いて寝る時間だなーとか思うんだけど、休日に家でのんびりしてて夕方ごろから昼寝しちゃって起きたら21時だったら、あーもう今日なんもできないなーこのまま寝たいなーとか思うの、時間がゆがんでるよなぁと思う。気候の良い休みの日なんかに家の中にただよってるあの空気、なんなんだろう。そういえば最近はあたたかくなってきて、外に出るとなにか匂いがして植物が薫っているんだろうとか思うけど、これは春の匂いだと思いたいな。雨が降る前の湿度を含んだ風の匂いはもう夏っぽい気もするけどね。

 

生きてるのなんでなんだろうなと思うことがあって、前からなんだけど、最近はそれがとみに強くなっていて、労働も向いておらんし社会化された自分とか想像したくないなとか。ふっと境界が歪むことがあったら、それを見せてくれる人(たち)のことが気になって好きになってしまう。境界の向こう側のものたちは世間とか自分とかとの折り合いのつけ方をたいていは教えてくれていて、それをカンフル剤にやっていくのんだろうけど、迷い続けること、悩み続けることを持っていくしかないっていう人たちもいて、まあそのへんも受け取り方なんだろうけど、とりあえず今のわたしはそちらに勇気づけられる。余生。なんていうか、世界は混沌なのだろうし。