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紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


雪は降らないし

一日中雨が降って、雪になるかもしれなかった。数日前から背中の筋が痛くてそれが肩首へとつながっていつか爆発するという予感がしていた。決壊はまだだが、恐怖からおそるおそる動いている。迷ったけれど、レインブーツを履いてバスで出かける。ブーツは鳥を数える人たちのやつだ。黄緑色のきれいなの。

嫌いな人のことを考えて、怒るような気持ちになったが、それは八つ当たりということもわかっていた。気圧や体調が影響して気分がふさぐというようなことはよく言われることだし、人間である以上(生き物なのだから)、それは自然なことだと思うし、その一方でそうした不確定なものにあらがって人生を切り開いていくことこそが「人間」の証明であり使命であるというような気もする。どちらも真実だなぁと思って、場面場面で都合のいい方を選ぶもしくはどちらも選ばないということをし続けている。逃げているともいえるが、そんな遊びも人間のすることだなぁというように思う。ところで、このようにAであると思う一方で非Aも一理あるみたいな概要のときには語順が非常にたいせつだなぁと思ったのだった。

今日はほんとうはお休みで、ただ仕事が終わらないので後のある日と休日を交換しての出勤だったのだけど、本当はピラティスの教室に行くつもりで、しかし事務所を出るのが遅くなってしまって、迷ったあげく(雨も降っているし背中も痛いし)お休みしてしまった。行きたい気持ちは十二分にあったのだけど。とても残念な気持ちを仕事のせいにしたり雨のせいにしたりとか考えて、体調のせいにすることにした。なんの違いがあるのと思われるかもしれないが、仕事とか雨のせいにして怒るより、体調のせいにして流した方がいいと帰りのバス中で考えた。原因をどこに帰属するのかって、けっこう大事なことだったりする。その上で、怒らない方向を選んだわけだけど、そこに着くまでに怒らないことの不都合を考えたりもして。怒るのを忘れていくことには不安を感じるが、怒っている状態はしんどいので、省エネルギーにしてしまった。かもね。感情に流されてはいけない。どうしても収まらないときは三木清の『人生論ノート』を読みませう。「怒について」。でも本当は今日は休みたかった。

最近は小島信夫保坂和志の『小説修業』を読んでいる。

小説修業 (中公文庫)

小説修業 (中公文庫)

 

 図書館で借りたのはソフトカバーのだけど、文庫で出てるから買ってもいいなあと思う。楽しい本は手もとにおいておきたいと思ってすぐ買ってしまうの。悪い癖。

物語論というかなんというか、テクニックというよりは歴史的時間的な話とか? 物語(でもなんでも)が社会的に位置づけられる外側への広がりと、あくまで作家本人のものでありその個人の内部への矢印が引き合う感じを順繰りに渡り歩いているし、小島信夫保坂和志がお互いを尊重しながらやりとりをしているとゆー難しい本ですが、あんまり気にしないでがつがつ読めますね。すらすら読みすぎて頭に入ってませんね(いつものことですね)。作家名とか作品名ががんがん出てくるので、まったくの初学者には優しくないです。読んでるうちに「作家論」「作品論」か「テクスト論」かの世界ではなにもできないなーと思ってきました。が、いまのわたしにはなにもできないのでした。

それで、『MONKEY』のvol.5を手にとったところ、『小説修業』に出てた作品がいっぱい載っていてちょうどいいので買いました。まだ村上春樹しかちゃんと読んでいません。しかしまあ、厚くて立派な製本です。 

MONKEY Vol.5 ◆ 死者の歌――イギリス・アイルランドの物語

MONKEY Vol.5 ◆ 死者の歌――イギリス・アイルランドの物語

 

(雑誌不況と言われていますが、わたしはけっこう買ってるんだよなぁ)

雨の中、水たまりにハトが二羽いた。存外ふっくらとして、こちらを見上げる。逃げないのかと思い、わきを通り過ぎた。レインブーツのいいところのひとつは水たまりを気にせずつっこめるところだ。

雨の日のバスは混んでいて、一区間だけ乗る人も多い、知らない人が隣に座った。かいだことのある匂いがしていた。タバコかタンスかどちらでもないか。匂いを当てたいという気持ちもあったが、マスクの上から手で覆ってしまった。晴れた日だと隣に人が来るほど混まないのに。しかし天気がいい日はわたしもあまりバスに乗らない。

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なんか怖いこと言ってくる……(たぶん大丈夫です)。