紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


音楽

雨が降った。

 

風が吹いた。

 

実体をともなった音楽がざんとやってきて、わたしたちを擲った。また、とおりぬけて、同時にすべては細胞に浸みこんだ。おびやかされているのに安らかだった。安心な時間は一瞬と永遠を伸び縮みしてふるえていた。戻ることはできない、過去になってしまったその瞬間を次の瞬間の音楽がさらに含んでまたぶつかってくる。繰り返し。

小さな音がどこかで聴こえてくる。ささやかにうねり、誰かが参加し、だれかが休み、しかしいつか大きな演奏になる。めいめいが音を出して、でも少しも嫌な感じがしない。一音ごとに場所がひらけていく。無限のピクニックシートの上で跳んだり跳ねたり踊ったりしているのをみていた。役割はあるといえばあるが、遂行しなくても大丈夫だった、言われたとおりのことをやらなくても役目は果たせている。その場所にいて、流れにのるようでのらないようにいて、いざ参加してみればそれは調和の一部になっているのだった。人間であり時間であり歴史だった。

不純物のまざりまくった純粋。張りつめた糸のようなするどさはないのに、それと同じかもっと大きなものを指し示していた。指をささないでそれをやってみる。ぜんぶ表裏一体なのだった。

永遠も時計をみれば三時間あまりで、あの感覚はなんだったんだろう。熱中を共通の時間ではかられてしまう感じ。時間とかお金の客観性は暴力的ですらあると思う。それでもやはりたまには冒険するために、願わくはあの音楽がいつでも聴こえてくるように生きていたいと願う。

ミラーボール

最近好きなバンドは変なバンドでライブではMCもあいさつもない。「ありがとー!」とか「行くぜ○○!」って地名を叫んだり曲をつくったいきさつも教えてくれないし対バンに言うこともないらしい。SNSのアカウントもないし、サンクラはずっと更新されてない。ていうか聴けない。最後のは苦情ではという気もしなくもないけれど。ないない尽くしはあげればキリがなく、ちゃんと歌わないし(ふにゃふにゃ歌ってたりする)、歌詞も音源どおりじゃないし、ふざけてるのかまじめなのかわからない。人によっては完全に「ふざけてる」の域に入ってる(し、そういう人にはたぶん怒られる)。わたしは様子見中だけど、どっちでもいいなって思ってる。

演奏はべらぼうにうまい。メロディもおもしろい。歌もたのしい。なら、ふざけていてもまじめでもどっちでもいいのが、先日ライブで観たら、ふつうにロックで、一周まわってただのロックバンドになっちゃってて、奇をてらった普通のバンドみたいになってしまってちょっとがっかりした。ので、やっぱりふざけててほしいと思ってたのかもしれない。って思った。なんだよ、まじめじゃん! みたいな。

いくつかある音源を聴いていくと時期でちょっとずつ曲調が違っていて、その過去のすべてを受け入れられていたのに、げんじつ、足をはこんだライブでかれらの変容にちょっと待ってくれ、違うんじゃないのと思ってしまったの、矛盾な気がした。すきだったら受け入れられる気もするし、なんか嫌って思ったらその部分はすきじゃなくてもいい気もするし、でもわたしはそのバンドがそのまま(わたしの知ってる)過去のなにかをなぞっていてほしいと思っていたのだった。のが嫌だったな。とじこめていたな。頭がかたかったな。

変わることをみとめるのはむずかしい。

そのあとにちゃんとしたバンドもみて、それも楽しかった。みんな楽しそうだった。ら、自分がふざけた(ふざけてないかもしれない)バンドを目当てに来てることが少しはずかしくなったりする。まじめにやってるの、ちゃんと見られないくらいまぶしい。いやしかし、わたしの好きなバンドたちもまじめにやってるのかもしれなかった。こっちの心持ちなんかなーとかも思ったり。自分がまぶしくないものたちをエラソ―に高々と掲げてるだけなのかもしれなかった。それはそれで自分をあざむいているし、バンドたちには失礼だな。そんなことないと思いたいのよ。なかなかむずかしいね。

ライブの空間はわたしにとっては非日常で、同時に自分が日常と非日常を渡り歩いている実感もあって、日常あっての非日常だとか思ったりもしてきたけれど、非日常を日常にしたのが(したくてしたのかは知らないけれど)ライブハウスで働いている人たちなのかもしれない。日常と非日常の乖離に魘されることも多いのだけど、では自分はなにをしたかといえば、実績とくになく、ていうか何をしたらいいのかという感じもある。齢三十を超えてもまだいうかって感じで、一般でいったらやっぱりとっても遅れをとっている(しかし、ふにゃふにゃ界ではトップに手がかかるだろう(みたいなことを言っちゃうからあれなんですかね))。

わたしは全然変わっていない。変化をおそれるなとかいいながら、一番なんにも変わっていない。何であれ、ステージで照明をあびている人たちを見ながら、たぶん(すぐには)変われないんだろうなという気がして(変化は徐々に起こる)、それでいいんだという気もして、自分がいつか嫌われるとしたらそこがネックなんだろうとも思った。そうなったらしゃーないなとも思えるようにはなっている。なっていた。誰も知らないだろうけど。