紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


2018年のフック

たぶんまた延び延びになるんだけどやっていきます。新しいのを上に持ってくるようにしたらいいんじゃないかな(知見)。

 

 

 1/26

 1/25 ミルクパン

 1/24 雪をたしかめる子どもたち

 1/23 柴田聡子「愛の休日」

 1/22 おにぎり工場(家内制手工業)

 1/21 TOMOVSKY - 我に返るスキマを埋めろ

 1/20 是非家に来てくださいと思っていたらジャジャンッ(偶然)

 1/19 『ルパン三世 カリオストロの城

 1/18 はしるはしるはしる

 1/17 やっぱラッパーってそうなんだ会議

 1/16 日記、紙、ネプリしたい

 1/15 「わたし達も詩集出した方がいいのかな」

 1/14 ゆらゆら帝国 - 船

 1/13 ±(墓標に見えた)

 1/12 ぜんぶ棄てたくなっている(底にいる)

 1/11 命の母ホワイト(よろしくお願いします)

 1/10 アルフォートの水色(アルフォートを食べる順番を間違えてはいけない)

 1/ 9 われを見て腹を出しやる犬ひとつ

 1/ 8 千鳥のだいごさん

 1/ 7 寒中見舞い出しちゃった

 1/ 6 年賀状を出したよ

 1/ 5 日本多様性昔話(一発目がイソップ童話だったよ)

 1/ 4 もう働いている

 

▼2017年

soulkitchen.hatenablog.com

シムシティの亡霊が

空港の近くに行って、空の港と書く空港、だから海の近くにあるのかしらんと思ってみて、いやいや平地の空港もあるよねって思い直す。並走する水の流れ、は、川なのか海なのか。近くに行ったら潮が香ってくるだろう。海(川かも)を臨むようにマンションやアパートや団地が並んでいて、ひとつひとつの窓はどれも小さくすべてに生活が。と思うとなんてたくさんの人がこのエリアにいることか。たぶん学校とかもあって、子どもたちはそこに通い、ここで大きくなっていくのだろう。大黒柱たちはこの辺りで、つまり空港や港や荷物の倉庫やそれに付随する会社なんかで働いているのだろうか。でもそんな、電車で三十分もあれば都市部から行けるんだし、ここに住みますかという気がしてしまうの、ただただわたしの感覚でしかないけれど、シムシティで市長やってたときにI(工業地区)をR(住宅地区)およびS(商業地区)とうんと離していたのが影響しているような気がする。だって工業地帯、なんだかわからないけれど大気汚染がすごくて(メッシュ図で見られるのだ)、こんなところに人は住めないと思ってしまっていて、安直な発想だけど、わたしのつくった街は生活圏と工業地帯(または発電所とかも)の分離がすごく、それをつなぐのは一本の線路だけというとても心もとない、絶対に満員であるその一輌の電車という世界観をひきずっているのだった。無意識のうちに"街"感がつくられていて、それを更新するすべはほぼなく、ここまできてしまって、ふと見たものにその感覚をにじませている。この感覚は間違っている、というか正しくないとは思うのだけど、ではどうしたらいいのだろうねぇ。

今や世界は広がり、それゆえに限界がわかり逆説的に手狭な世界であるが、わたし(人間)のサイズは変わらないから、その差分のあつかい方が困難になっているように思える。小さな世界では幸せだったことも、大きな世界から見たものに「井の中の蛙」と言われてしまう。大きな世界は可能性のるつぼで、わたしたちは幸せの狩人になってしまう。するとなにが幸せなんだろうみたいなことばかり最近考えてしまう。現代人らしい悩みという気もするけれど。わたしは現代人だから、大きな世界で自身の”選択”を尊んでいくのが正しいとどこかで思っているのだけど、その選択の中にだらだらするとかのんびりする、を入れておかないとつらいなぁとか思っておるところ。

 

*追記

よく考えたら空港も港も倉庫も工場ではないから完全にいいがかりなんだけど、なんでなんだろうこの思い込み。すみませんが最初に書いたままにしておきます。ディスっているつもりはないすみません。