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紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


新陳代謝の人生の

衣更えをして、秋のやってきかたがスマートだったと思う。寒くなったまま暑い日がないので躊躇なく半そでのパジャマをしまい、冷感の肌着をしまい、寝床に敷いてひんやりするマットも片づけた。さようなら扇風機、今年もよろしくヒートテック。すこし億劫だったけど、やってしまえば手間もない。あんなに愛しかったリネンのシャツの手触りが今は鬱陶しく、自分でもちょっとどうかと思う。その横で半そでの人(くま)もいたりして。

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(再掲)

図書館のこと、あんまり思い出さないのは期限どおりに返せないからで、まあそれは借りすぎちゃうからというのもあるのだけど、でもたまに行くとあの本もこの本も書架にはあるのだから素晴らしい。返さなくていい本は家にたまっていく一方で、借りて返していこうとか思ったりする。すごく好きな本屋があって(できて、見つかって)、そこは好きな本と欲しいと思っている本と気になる本しかなくて素晴らしいのだけど、この本たちを手に入れるために、今ある本を減らそうと思った。本棚にも新陳代謝が必要だ。

映画を観て、だったかな、若者や子どもたちは大きくなるためにあらゆるものを取り込んでいくのだと思って、一方で大人は(そして老人は)人生を見直すために持ち物を厳選したり手ばなしたりするのだと思う(貯めこんだままいく人はまたそれでよし)。なので、成長期の時分からミニマリストであることはあまりよくないのではないか。物を必要としない人生もある。想像の中では豊かなのかもしれない。でも、もしかしたら、物を減らしていく時期の親世代が、栄養(比喩だよ)を必要とする時期の子どもの成長を阻害することもあるのやも、なんてなんて。けしてミニマリストを批判したいわけではなく、そりゃあ環境はえらべないのだけど、人生のステージの視点ってわりと必要なんじゃないかと思った。のだ。

暗闇が声をかけてくる

どこかでずっと音がしているのかもしれない。していないのかもしれない。音はしていて、わたしは、私たちは、きこえないようにしているのだとしたら恐ろしい。それは意識的なのか、教育によって身についたものか。恐ろしい。
この瞬間にも世界中で音は鳴っていて、鳴りだしていて、または今にもはじまるのかもしれず、それに気づかないこと、気づかないようにしていること、嫌だった。
自分だけがそれに気づくこと、または自分以外はそれに気づいていることも恐ろしいが、どうしていいかわからない。
こうなってしまうとどうしていいかわからなくなって、人間としてどうか、なんて主役をすり替えてなんとかやっていく。ああでもこたえは最初の段落で出ている。
その存在に気づいたらとにかく声を出す、反応があることを信じよう。

本の宇宙、読んでいる瞬間からもう一度読みたいこれを反復したいという心持ちになったの、わたしが文章に反応したのか、文章がわたしに反応したのか、反復の快楽に浸ってみればもうどこにもいけない。でもそんなことはけしてないんだから、世界はうまくできている、もしくは思考に瑕疵が。