紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


発揮されるキャラクター

おれたちってキャラ薄いよね、と言われたので考えた。

それは職場の人との会話で、自分の考え(というか言いたいこと?)をガンガンに出し、こういうふうにしたいといってくる人がいる一方で、ゥチらってそうじゃなぃょね、みたいな感じで、それがキャラ薄いってことなのかは疑問だけどまあ置いておいて、そういう意味なのかと思った。

そうか、自分では変なことばっかりしてるつもりだけど、世間的にみればはみ出しきれてはいないのだろう。というか、身につけた世間体で自分を覆い、他を気にしながら生きている方なのではないかと思った。なので、「隠してるってことじゃないですかね」と返した。

そっか、じゃあ、本当は何かあるんだね。

ってうれしそうに続いたけど、落ち着いて考えてみたら、その人は、話題が激しいわけではないけれど、思ったことを淡々と自分のペースでしゃべり続ける胆力があって、いやいや、十分にキャラ発揮してますよ、と思った。自分ではわからないものなのだ。

その人は職位でいったら管理職で、それなりにグループをまとめているというイメージだったけど、話をきいたら10年前に、いまの私と同じ状態で入職し、上司(現在の私の上司)のもとで何年かやり、管理職になるための試験をうけて、今に至るときいて、少しイメージが変わる。この、あてのない日々をあなたも過ごしていたのか。あの人(現在の私の上司)は何を考えているかわからないから気をつけた方がいいよと言われた。めっちゃわかる。

わたしは、こんな、何を伝えるわけでもないひらがなばっかりの長文をネットに書きつづけている、何年も、それを前面に出すわけでもなく、こそこそと。わたしは、基本的にこそこそしてるんだよな。自分がしていること、考えていることは受け入れられないと、幼きころから感じている。実はそうではないらしいと感じることも増えたけど、それを口にするのはまだ怖い。でもなんか、みんなそんなに気にしてないんだよね。他人に興味ないもんね。自分を開示するのが怖いという感覚は、他者はそれを受け止めて、なんらかを返してくるという変な自信の裏返しでもある。そんなわけはない。歳をとって自分がそうなってきたからそう思うのかもしれない。だとしたらすこし悲しいけど楽になるならそれもいいかな。