紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


インディアン様ー

今朝からかれこれ二時間電車に乗っている。それでもまだ一時間以上乗らないといけない。乗換えもある。わたしの地元に近づいているけど、その中途で降りる。
山に向かう電車はアウトドアのザック姿の人が多かったのが、県境を越えていくつか駅を過ぎたところで、普通のお出かけのような人が増えてきた。遠い山に行く人は特急電車か新幹線をつかう。
特急もあるけれど、一時間遅い電車になることの価値がよくわからなくなって、そのまま鈍行に乗っている。貧乏性とも思うし、しかし集合の時間にちょうどよくなるわけでもなく、難しいのだった。

各駅停車は速度が遅いのと、駅での停車時間が長い。そうしている間に何本も特急に抜かれている。車輌の数は少なく、御手洗いがついている部分もある。
乗客が降りて、途中からボックス席にうつった。鳥の羽が散っていて、たぶん前の客のダウンコートから出てきたのだろう。日が出たのと暖房でずいぶん暖かいけれど、扉がひらくたびに冷えている。そういえば、マフラーを忘れてきてしまった。
停まった駅の反対のホームで、銀髪の老婆が背中を向けて立っていた。太陽の方を向くと眩しいのだろう。デニムに黒いコートを着て、しゃんと立っているのが美しかった。足もとには実用的っぽい黒い薄いかばんと布で包まれた四角が置いてあった。単純に好もしく思い、わたしが歳をとってこうなれるかと考えた。
彼女のホームの下に拳大くらいの白い紙が散らばっているのが見えた。向こうの畑の木々に同じものが山ほどなっていて、果実の保護をしているのだとわかった。くくってあるはずのそれが沢山吹き飛ばされるとも思えなかったけれど、どういうことだろうか。
この時期だと何の果物かと思うと車窓は変わり、黄色く紅葉した垣根のようなものがたいへん眩しい。秋である。いつも家にいて寒さしか感じていなかったのが秋に引き戻される。小さい秋見つけた、どころか秋まるごと見つけた気分。
都会の四季は極端で鋭く刺してくる。一方、自然の中ではゆっくり季節を、寒暖や植物の変化を感じるのだ(わたしの育ったのが田舎というのも関係あるのだろうけれど)。

目的地についてからは忙しくてぐちゃぐちゃだろうので、のんびり鈍行の旅でよかった。急ぐ旅でなし。空の青さに目を奪われる。
なんで電車はシートベルトがないのだろうか。レールの上を走っているからだろうかね。
そんなことを思っている間に乗換えの駅で、しかし20分待って30分乗るのだ。ICカードが使えないからと、駅員がアナウンスしてまわっている。