紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


eki hayarite uo wo yaku

amazonは基本的に "オキハイ" することにしたらしい。置き配という字をあてる。受け取りに対面はしない。初期値は玄関で、夕方にトラックの音がして廊下でごそごそ気配があるとすぐさま「配達終了」のメールが届き、ドアを開けると荷物がそっと置いてあるのだった。このご時世だし、サインもないので手間がはぶけるのだけど、それはわたしが(もしくは同居人が)在宅できてるからいいけれど、なかなか家にいられない人には困るシステムのような気もする。その場合はオキハイの設定をいじって、玄関以外の場所もしくは対面しての受け取りもできるとのこと。なんだかamazonの回し者のようになってしまった。しばらくamazonでの買い物を避けていたのにここにきて、ひょんひょんと注文してしまっている。このご時世だもの。というわけで、たい焼き器を手に入れた。疫流行りて魚を焼く(eki hayarite uo wo yaku)、だ(wow wow)。

直火のやつとホットプレートの 2 種類買ってしまった。直火のものしか念頭になかったのだけど、検討のうちに、ホットプレートのはホットサンドの型もついていたし、電気で焼けるからどこでも持っていけるなどと迷ってしまった。迷ったらゴーなのだ。すぐに人に分けることを考えてしまう。お調子者なのだ。なんて言い訳をしながら。

伊勢物語』をぱらぱらやる。百二十五段。最後の段だ。

むかし、男、わづらひて、心地死ぬべくおぼえければ、

 つひに行く道とはかねて聞きしかど

  昨日今日とは思はざりしを

 

 石田穣二訳注『新版 伊勢物語角川ソフィア文庫 p.105

 現代語訳はこうだ。

昔、男が、病気になって、もう死にそうに思われたので(次のような歌を詠んだ)、

 (最後には誰もが行く道だとはかねがね聞いてはいたのだが、––それが自分の身におこるのが––まさか昨日今日のこととは思ってもみなかったのに)

 同 p.261

 むかし男は病で亡くなったのだ(「亡くなった」とは書いてはいないけど、ここで終わりなのだからそう思っていいのだろう)! と思うとなんだか現状とだぶらせて気持ちがキュキュと縮みますね(なにその感傷のスイッチは)。流行り病とは書いていないけどね。「昨日今日とは思ってもみなかった」のだから、その可能性も読めると思う(ただただそれまでに健康すぎる人生を歩んだ大往生なのかもしれないけれど)。死はだれにも平等でありながら遠かったりもすることを、ここに来て再度味わう。

とても健康なのだけど、すぐに弱気になってしまう。明日は一週間ぶりに出勤する。