紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


相似形

朝、起きた瞬間から頭が重いことがあり、それは何がしか悩みがあるのを寝ている間も脳が考えていて疲れがとれていないのだ、という仮説にたどりついた。その晩は眠りが浅く、何度も目が覚めた。毛布が暑すぎて憎かった。何度起きても時計は進んでおらず、苦しい夢ばかり見ていた。起きて、同居人にかけた言葉は「心がこもってない」と言われ(しかしそれはロボなのでいつものことなんだけど)、心と脳と気持ちの半分以上がそのことを考えていたのだった。

だれかに似ている、と言われること、「◯◯さん2号~」とそれは賞賛の文脈なのだけど、言われてみて、あんまりいい感じじゃないなと思った。そーゆーこと言ってばっかりの人生だったけど言われる側になってはじめて知る気持ち。まあしかし、はじめてなのではじめてなりのむず痒さもあり、悪い気ばかりではない。あと若くて優秀な人を見る経験ももしかしたらはじめてで、ホホウとなっているのも事実。みんなこんな気持ちだったんだなー。と着実に加齢よ。

久しぶりのメールは長いし何通もあったけど、まあそれはそれで(内容も)その人らしくていいじゃん、って気がした。しかし、それまでその人がやっていたこと、なんだかんだその人の立場が強くかかわっていたんだと思った。何者でもなくなってしまった(本当に?)その人の言葉を読むことは、今までその人がたくさんの人の話を聴いてきたことと重なって思えた。なんだか苦しい気持ちもするし、いいじゃんいいじゃんって気持ちもある。そして、わたしは自分の立場(何者でもないけどね!)を排した返事をできるんだろうか。いや、しなくてもいいんだけれど。