かわいそうでかわいい
書こうとすることがまとまらないわたしは、 なのかもしれない。
それでもみんな、なにがしかかいている、、のをうらやましさとしょうがなさで見つめている。
傍観者としての自分について、視線について、諦めのような気持ちもあるし、なんとかできるのではという気持ちもある。
少しずつ実体をもちはじめる、おばけの、気、、、のような。
おこっている人、怒りを持続できるエネルギーには感服するが、それは通常のコミュニケーションではなく、シュプレヒコールのような、宙に書かれた文字なのだった。対話ではないそれを人にぶつけてなにがしか充足を得られるのかもしれない。でも充足してる人はたぶんこんなに怒っていないだろうと思う。それは、ひとりごとのパフォーマンスだから相手にするのが無意味なのだ、と思うと、そう思われてしまう目の前の人が可哀想だった。そしてそんなものに心うごかされ悲しくなってしまうわたしの徒労もかわいそうだった。