紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


ぼんやりしてる

外国から帰ってきてぼんやりしている。厳密にいえば外国にいたときからぼんやりしていた。スケジュールを詰め込みすぎたからだと思う。でも寝る前とか朝動く前に日記を書いてブログに残したりしていた。すごく眠いし頭の中がもやもやして言葉が出にくくなっていた。老化かもしれない。時差ぼけはがんばって直して(たぶん)、でもこちらの暮らしは遅寝遅起きになってしまってけっきょく変な感じだった。外国にいたときは身軽で自由だった。それは事故がなかったから結果いえることではあるけれど。言語が通じないのも気兼ねなくものをいえてよかった。アジア系の人たちがいる方がむしろ緊張したりして。逆に何かを伝えたいときはものすごくがんばらないといけない。外国の人の主張がはっきりしてるのはそのためかしらんと思ったりして、でも違うなー。帰ってきて平常になったら急に不安がやってきて、月例の不安(変な言葉)みたいなものだと思うけれど、将来にそなえるなんて何をやってもきりがないし、最低限もできている気がしない。漠然と厖大な不安におそわれる。集まりが午後からでその近くで行きたい写真展があったのに先に行く。平日だからだれもいなくて30分ほどひとりで写真に囲まれる。なんであんなにまぶしいのか。写ってる人たちも不安がないわけではないのに綺麗に写っていてうらやましくなる。撮影はハレなのかなと思ったりして。そういえば外国の人の接客は無愛想だとかんじることも多いのだけど、かれらにしてみればおこっているわけではなく平常なのかもと思ったりもする。愛想がよすぎる人もいるから悩んでしまうのだけど。ひるがえって日本人は愛想よくしすぎというか、そうしなければいけないという感じが強くあるような気がした。いい悪いではないのだけれど。100円のものを1万円出してお釣りをもらうようなこと嫌がられて、そういうの日本ではありえないと思うし、まあでもそのくらいレジ担当者の自由があってもいいような気もする。理由としては面倒とかニセ札予防とか考えられた。まあなんか急に窮屈に感じられるようになってしまったということ。でも日本の風景なんかも見慣れない人から見たら特別な異国のものに見えるんだろうなとか相対化はされた。すこしね。