紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


ヘビのパズル

ふとした瞬間、でもないか、無暗に攻撃的な気分になっているときがたまにあって、あとで反省したりする。し、そうあるべきではないと言いきかせている感じがある。ソフィスティケーションというか去勢では、みたいな。都会人と未来人はどんどん丸くなっていくと思うんだよねー。

友人がアイボを買って(飼って、なの?)、アイボの情報をきくことができる。どうもアイボは死なないらしい。でも、しまえるじゃん? って言っていて、そのうち飽きて引っ越しのときに箱に入れたままになったりするかもって、それはまあ実質死なのかもしれなくて。もし万一こわれることがあって、その場合は不燃なのか金属なのか家電なのかとか考えて、もしかしたらSONYが引き取ってくれるのかもしれない。お引き取りサービスだ。でも、SONYに返すのが嫌で、ペットの共同墓地(塔みたいなやつ)に入れたい人もいるかもしれない。骨壺入るんかな。火葬していいのかななんて考えていると、生物の死ってめっちゃいいシステムなんじゃないかなと思った。腐るけどだからこそどうにかしなきゃって思うし、土に還るんだし。分別方法がわからないまま放置され、おじいちゃんの遺品整理してたら奥の方から金属片が! みたいな方がかなしい。

あ、攻撃性の話、わたしはこんなに洗練されたのに、それに比べてこの人たちは、、みたいに思っている気もする。自分基準にするなって話かもしれない。実家がつらいというの、でも裏返して、どうにかしたいっていうことなんだと思った。今までどおりのやり方ではなにも変わらないしわたしもつらいのであった。というところまで考えた。別の方法があるはず。でもその反面、そういう物語に浸っているだけなんじゃねえのという気もしてしまう。

ヘビのパズルだ、と思う。今検索したらマジックスネークとかルービックスネークとかいうらしい。 

三角柱的なパーツをひねってひねって好きな形にできるのだ。なんでもかんでもひねってしまう。わかられたくない表現で安心している。やべー癖(へき)だぜ。ひねくれてる人としか仲良くなれないし、ひねくれものどうしって相性あるし、ひねくれてない人がすきだけどひねくれてなさにがっかりしてしまう。あと、ひねくれてることって隠しがちだからそもそも出会えねーーーーー。みたいな気がした。地道にやっていくしかないんだろう。