紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


大局観

数年書いていると自分の関心や書いていることが変わっていくのがおもしろい。今はけっきょく 3 つくらいのことがらをかたちを変えて書いているだけのような気がする。

Youtubeのオススメに出てくる動画をリレーしていくと 90 年代の懐かしい音楽が出てきた。それは今となっては懐メロだが、当時は新しくてポップだった。今きくと古いなーと思いながら自分もそのときは(まだ)若かったのだということが思い出される。それとは別に、リリースは最近なんだけど古いなぁと思う曲もあり、それはたとえば 90 年代と同じ手法を今やっている感じがする(実は新しいのかもしれないけど)。それはそれで、年長の人だったりするとご苦労様ですと言いたい気分になる。若い人だと影響を受けたのかなとか思う。ヴィジュアル系もラップもバンドもぐるぐるまわっているのだ。ファッションもズボンがパンツになり太くなったり細くなったりをぐるぐるしている。モードの流行り廃りが繰り返すのは、現在がリーチするのは現在で、そのときに幼かった者が時代を動かす段になったときにそれをなぞっているんではないかと思う。奇抜なものは突然変異だ。それが定着するとまた十数年から数十年後にあらわれるのだろう。

このサイクルも細分化だけは進んでいる気がするからそのうちみんな自立できなくなりそうだ。そうしたら大きな波がさらっていくのかなみたいなことを考える。こうして大局的に考えがちではあるけれど、小さな波をつくるのは個人だろうという気がして、動きはそこからしかうまれない。のだ。ろう。