紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


登山(2)

山のことを思い出してため息をつくようだ。こうして人は山を好きになっていく。後遺症ともいえるのがもうひとつ、筋肉痛がミシミシとそこらじゅうにあり、動くのが億劫になっている。急に寒くなったのもありますよね?    動き出そうとすると寒さと筋肉痛のダブルでこわばりがある。よちよち歩く。

突然の寒さ、よいよいと思って買った服が布切れと化す。なにを着たらいいんだ。ふたたびの迷子。というのは杞憂で意外となんとかなる。はずだ。街ゆく人が足もとちらりと覗かせていたりして実はいけるのかと思う。実際動くと暖かくなるのだ。

山は寒かった。頂上を越えたらちらほらと白いものが見えて、はじめは霜かと思っていたが日陰、地面、笹の上にこれでもかとあるのを見て雪かもと思った。ら、ちらちらと降ってもいた。なにかの間違いじゃないかというくらいの些少な雪。寒い寒いと言いながら炬燵に足を入れていた。炬燵は暖かかった。というか炬燵以外はすべて寒かった。となりの部屋の声が時たま聞こえ、われわれの声も聞こえているんだろうけど特に意味のないかけ声のようなものばかりで、逆に心配といえば心配だったけど。

20時半に消灯で電気が落とされ、その前からずっと横になっていたけれどいよいよ闇になり、目をつむる。はっと目が覚めて朝かと思えば22時半だったりして恐ろしい。炬燵が熱くてうとましかったりもする。1時に起きたあとは特に記憶がないから眠れたのだろう。起床の4時半に電気がぱっとつき目が覚めた。近ごろにない快適な目覚め。

4時半に起きて20時半に眠る16時間生活は平地より長いのではと思ったけれど6時半に起きて22時半に眠るのと一緒だしなんならもっと早起きだし寝るのも遅いしやっぱり都会の方が一日が長い。

暗いうちに朝食をとり、出かけるころにやっと日が出てくる。けっきょく日の入りまで歩いていて、太陽ぜんぶもらったという感じだ。朝の太陽はうまれたてでまぶしく、われわれはもちろん木にも地面にも優しくあたり、隣の山のかたち、木の一本一本をはっきりと浮かばせてお見事というしかなかった。朝のひかりが一番よい。10時になって11時になって、気持ちはまだ前半戦なのにもう何時間も起きて動いている事実とのギャップ!(始業が10時とかだとまだまだこれからだから)

でもとにかくずっと外にいて、歩いてた。13時くらいまではまだまだいけるって思うのだけど14時すぎると日が傾いて衰えているのがわかりさみしくなってくる。毎日うまれるのなら毎日死ぬのであった。南無。