紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


恋の話

はいいですね。と思ったが、恋の遠さよ。抱き合ったりするときなんぞに感ずるのは親愛の情で、大型犬とふれあっている感じ。めちゃめちゃ安定している。慢心ともいえそう。近くにいながらも探り合うような、どうしてもすれ違ってる森の中みたいなあのギリギリに絞られた緊張感、を恋と考えている節がある、ということに気づいたのは今。そのへんはとらえ方次第ということになってしまうけど、それがないこと、少しさみしいと思ってしまった。ひとつ進んだとか、進んでしまったとか考えることもできるし、うーん、なんだかけっきょく段階なんてなくて、どうとらえるのかみたいな話でしょうか。ともかく関係は変性して(少なくともわたしはそう感じて)いる。あの危なっかしい感じはなく、考えることが減ってうれしいと思うし、そう思ってしまうことを少しうしろめたく感じたりもする。

書く前に思ってたこととちがう感じになりがちだ。恋は去った、と思ったけどたぶん違ったので(変性しただけだ)、じゃあこの文章はどうしようかなと考える。まだうまくはあらわせないけど、うしろめたく感じるのはなにかが足りていないからという気がした。先に慢心と書いたけど、消極的に手に入れた安定は壊されるのではないかと思ってしまう(ような)。積極的に安定をつくったり守ったりしていないといけない(ような)。それはそれで物語病みたいな感じもするけどね。自由にあるがままにという気持ちもある一方で、わたしは主体的にかかわっていないものは奪われたり壊されたりしても文句がいえないような気がしている。のだ。ムムッ!(おひらき!)