紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


「空洞です」

雲がわたしたちを覆ってしまっていただけで、けっきょく夏だったのよといったふうな気候。いちど。大雨がさったあとに蝉がいっせいに鳴きだしてせみしぐれ。少しでも緑があればどこからでもセミのミンミンジジジが反響して、からだ、空洞、からっぽのうろの樹になった気持ちで自転車を走らせ候。雲の上は太陽が出ているのよという飛行機に乗るうえでの常識を地上でも体感している、どちらかといえばぎゃくの意味で、おろかなので。学習しないので。雲の上を想像なんてしないで、まるで忘れていて、肌寒い夏ですねなんて言ったりする。夏は肌寒くなんてせず、ただわれわれに見えないところで夏しているだけなのに。見える部分だけで知ったようなくちをきいてわたしたちはまったくのばかよ。夕方。足元では秋の虫が鳴りはじめて、それは気候にしたがっただけで虫たちは「秋になりましたね」なんていわないで身体を鳴らしている。今さら夏が姿をみせたところで盛夏を取り戻せるわけもなく残暑をいきるのだ、人間たちよ。せんじつ。の話なんだけど、キャンドルをつけて凝っと見つめていたところ蛾のかたちの小さな虫がグラスのふちにとまって、それからあっという間に蝋の中に滑り落ちてしまった。手の中での死。もてる温度での死。あっけのなさ。『ブッダ』の一番最初を思い出したりしちゃうんだけど、あれはヒューマニズムに寄りすぎている節があるようよね。虫は感情も後悔も痛覚もなく、あついとかはおもっただらうか、ふっと生から死へのラインを越えていった。いのち、と思った。