紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


ばんざい組の子ら

カレンダー、もう八月も後半にさしかかる、とり小屋とにわとりと手をあげている三人の坊主の絵がかかれている。短パンはみんなちがった柄でほかははだかっぽいから水着なのかと思う。それにしたって胸まで隠しているようだけど。肌色のUの上に伏せたお椀みたいな黒い半月の髪だ。みんなおんなじなのにみんなちがう。今月はカレンダーを変えられたぞと思うけど、そのために七月のイラストをほぼ見ていないのだった。昼夜が飛び去るのは一瞬で昨日は冗談みたいに年末の話をしたけど冗談になっていないかもしれない。このくるいそうな時間の中でどう正気をたもてるか。いやもう狂気のような気もするし。

 

文章をつい読点でつないじゃうの、悪いなと思うし、でもこれが正しいという気もするの、たぶん英語のせいだと思う。英文読解が必要になって予備校に行ってたことがあって、わたしの英語力(読解のみ)はそこで培われた。中高の英語の授業はほぼ意味をなしていない。ぜんぶ勘だった。

カレンダー、もう八月も後半にさしかかる、とり小屋とにわとりと手をあげている三人の坊主の絵がかかれている。 

 「もう八月も後半にさしかかるカレンダーに『とり小屋とにわとりと手をあげている三人の坊主』の絵がかかれている」って書かないよねぇと思う。英文読解といってもだいたいが関係代名詞なのだった。構造だけがわかるようになった。文型の分けもそこでなんとかわかったくらい。っていうのが自分の文章はたまた思考に影響を与えていると思うているよ。