紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


たらればの現在形

※まんがの話ではありませんぬ

 

たらればって基本的には過去にあるものなのだけど。過去のたらればにかんしては、現在を肯定しなさいというのが解だと思っているのだけど(どうしても無理であれば、反省の材料として未来に活かしなさい、を使います)。

そのたらればが現在進行形だった場合はどうだろう。人生は選択の連続で、こうしている今だってなんらかの選択の真っ最中だ。現在の選択が将来的にたらればする可能性だって大いにあるわけで。

今あるたらればで、ああすればよかったの瞬間に戻ったとして、たとえば「我慢すればよかった」等の受動的なやつだったらたぶんもう一度やり直せたとしても難しく、「なんらかの手段をとろう」的な能動してこうというのならばチャンスはあるのではないかと思った。

ひるがえれば現在形のたらればに対しては、「ここを我慢しよう」「私が耐えれば」的なのは、構造的な状況的なやつなのでさっさと逃げましょう、と思う。するのであれば、状況を変えるなんらかの手立て。というような。

どうしてもつまらない書き方になってしまうと少し悲しいのだけど、なにか読んだり出かけた先でそのたらればの過去形現在形を見てしまいそんなことを思った次第。なんかもっと切実な話のつもりだったのだけど。しかしできる大人はそんなこととっくに知っているのかもしれなかったね。