紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


赤い実のはじけるさまを見たくってやわ肌めくる校庭のすみ

青春のあごの下の白いぶつぶつをいたずら心でこすってしまって翌日に爆弾と化す。地獄かよとうそぶいて、なんて軽い地獄、しかしこちらは真剣だ。御免。膚は思ったより薄く弱くその下に脂と液体をたたえているのよなと考えながらどうしようか頭をかかえて、それと肌ってパン生地と同じくらい柔らかいなと数秒もむもむハッいけない現実逃避。暇をみつけるとパンを焼いてしまう最近の趣味。どれだけ続けば長い趣味になるのだろうね。最近は登山もご無沙汰していて、なんか、趣味って移り変わっていくよなと思う。すべてを持っていくことはなかなかに困難。思いきってなにかを棄てればそこに新しくなにかを置けるのだ、というようなのは片づけの本とか自己啓発の本にも書いてあったりするようなことだけど。実際は今持っているものがみちみちにつまっている状態に新しいものがよっこらせとボディをねじ込んでくることが多く、それがしばらく続いたころになにかが縮小、もしくは零れ落ちていくような。人生の質量保存って感じだ。生活は広げることと片づけることの繰り返しでおそらく人生もそうなのだけど、なにかを広げっぱなしでまたなにかを新しく広げるのは難しい。続けていると強制終了のエラー。はじめることばかりもてはやされる風潮があるけれど、適切にはじめて適切に維持し適切に終わらせることに慣れたいな。

 

白葡萄めがねについた水滴の真より巨きく見えることかな