紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


湯たんぽ > あなた

予想どおり、というか、案の定ややこしくなっていて、mmmである。駅までの道程を送ってくれるというのをことわって、けっきょく気分ではない、なのだけど、そういう気持ちになるまで誘えとも思う。あと二回言ってくれれば。ポーズだよポーズ。それは、何度も遊びに誘われるのを待っている子どものようで。するとわたしはあのころから何にも変わっていないのであったよ。

そっすかと行き過ぎる車を見送り、もしかしてコンビニの駐車場で待っているかもとかこの先で、みたいな夢想をするけれど現実は無慈悲。しかし世とはそのようなものであるし、自分が言ったことなのだ。受け入れなければいけない。十代二十代の女ではあるまいしと思うのを頭の中で打ち消して、三十代であれ四十代であれ性別こだわらず誰か追って優しくしてやってくれる人がありますように、とは願う。いつまでもそれをあてにしてはいけないぜ、という追い打ちもふくめるが。そう考えると十代や二十代は熱い。熱かった。勘違いのように他人のために自分のために時間をお金を熱情をつかってやれたのは何だったのだろうか。それに比べればわたしはとても冷えてしまった。

少しずつ改善しているとはいえ、手足の末端が冷えてこごえてたまらない。冷たい手足を差し出すと温めてくれるたのは家族であり友人であり恋人であった。幼いころは蒲団の中で冷えた足を腿にはさんでくれたのは父親、妹の手を擦ってあたためたこともある。嫌がる風をみせながら服にもぐりこませた手のひらを背中と同じ温度になるまでクスクス我慢していたのは昔の恋人である。ゆえにそれは人間にそなわった機構と思ってたんが、同居人は本気で嫌がり逃げていくのでこれだからひとりっこはなどと思ってしまう(全国のひとりっこに風評被害だスミマセン)。こやつはそういう生き物と思って暮らすのももう慣れてしまった。湯たんぽの方が暖かく文句も言わない。

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(知識だけはくれる)