紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


くまに頭突き

二泊三日の旅に出ていた。自主的に連休をとったと思えばなにかしらに参加しているんだから阿呆なのよと思いながら家にくま氏をおいていく。本当に。自省しかない。いうなれば、すでに出来上がっている関係に少しだけお邪魔する、そりゃ疎外感がすごい。当たり前。わたしがしてやれることなんてなにもない。まして相手はプロたちだ。という言い訳に甘んじていても仕方はなくて、できることをやるしかない。そして、「できること」は自分の心がけで範囲を調整することは可能だったりはする。

というようなことを考えながら、しかし小出しにして様子見したりしてしまうのだった。わたしにとっての一年はあっという間で、ああ今年もまたこの季節ねとか思うだけなのだけど、今まさに成長している人たちにとってはめりめり変化している最中で、昨年と今年、今年と来年では鯉と龍くらい違うのだ。連続する別の人格。その中にも自分の通過してきたものを見出して、周囲の人が首をひねっているようなときに、しかしどう言ったものかと逡巡して曖昧にほほえむ感じだ。それは黒歴史とのちによばれるだろうが、その時代があるのもたいせつだよね。自分が見守られていたことを想像すると頭を抱えてキヤーってなるけれど振り払って生きていこう。

わたしが考えているよりも、ほかの人たちはあんまり考えていない場面があって、他者に対する認識不足を知る。知識もその精神も。低く見積もるのも高く見積もるのも決めつけという点では同じだけれど、実際には低く見積もってそれが正値に近く、見積もられる側もその方が楽なのだったらそれが正解になってしまうのだった。

こんなことをごちゃごちゃ考えているなら身体を動かせよという気もするし、いやしかし実際動いたからね観察しながら自分を調整したりしたからね、でも普通はそんなことしないみたいだった。脳みそを通過しないでも身体は動くものらしい――自分について、頭がいい、をはき違えている、と思ったりもするのだけれど――、というわけでしなくていい疲れを何重にもみずから増やして疲れて帰ってきた、というところ。

かしこくなりたい、勉強しなくては、と思う反面、それをしても自分はしあわせには近づかないという気がしているね。疲れたからとりあえずくま氏に頭突き。

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(再掲)