紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


夏の死

季節が冬にうつっていくのは夜が死んでいく感じ。にぎやかしい虫の声がささやかになり、最後には無音になる。年末に音を出すのは人間だけだ。というのは少し早いけれど、昨日あたり、「あ、秋だ」とはっとするお天気で、そんなことは一年前も書いた気がするけれど、日本の四季は夏と冬ばかりになってしまったなんていう意見もちらほら聞くが、しかし、秋のおとずれだけはこんなにあざやかにわかる。立秋とか立春とかつくった人もこういう気持ちなんじゃないかな。

仕事に出かけた朝は、日が出ていて青空で、気温はまあまああって暑いとはいえそうだったけど、でも空がなんだか他人みたいな顔をしていて、わたしにしつこくしてくれなくて、白い球みたいな雲がぽわぽわと並んでいるだけだった。秋の気配! って思って、職場に着いて隙をみてトイレから同居人にメール、「秋じゃない?」。五分後に「夏の死」とだけ返事があった。

そういうやりとりも含めてわたしは季節のうつりかわりに感動していて、少し遅れてきた同僚に「秋っぽいですね」と声をかけたところ、汗をふきふき、ハハッと苦笑いをされた。こんなに暑いのに? というのはわたしが聞き取った言外の言葉。そんなのに感受性の欠如! とか憤慨したりして。その後、さらに遅くきた人が眩暈で倒れて昼過ぎまで横になっているという事態になって、夏の暑さのせいにしておいた方がいいと思って、「秋ですね」はしばし封印することにした。少なくとも職場では言うまい。

「退職が決まったあとに、有給の付与日があったら有給はつくの?」ときかれて、「されます」と自信をもってこたえる。調べたことがあるからくわしいよ。すると、「えーでも」と言いたそうな表情で。ほんとうは最初のときから「つかないよね?」っていう目をしていた。この人はわたしよりも二十も三十も歳上で事務方の一番えらい人をやっている。えらい人のはずだけど、いろんなことをきかれる。悪い人ではないのだが、組織に適応しすぎてる向きがあって、「休職期間中に退職金の掛金を支払われるのってちょっと……」とか「社宅に入ってる人の配偶者が住宅手当もらうのおかしくない?」とか――なんかちょっと具体的に書きすぎた節もあるけれど――、なんていうか、発想がケチなのだ。他人をずるいずるいと思ってばかりだと、その気持ちにいつか足をすくわれるぞと心の中で警告しているけれど、いやしかしそういう人は自分の番になったら「ホント、会社の仕組みに助けられたわー」とか言うのかもしれない。しかし、暑さに倒れてすぐにも、ずるいずるい思考を保っていられるのが不思議だった。

ヒナ氏の実家から果物が送られてきて、その中にブドウもあって、やっぱ秋じゃないかとムシャムシャ食べる。美味いのだ。しばらくエアコンもつけてないし、夜は虫の声をききながら、静かさを楽しみながら眠る。秋。