紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


反復

子供の目はきらきらしている。狭いライブハウスの部屋で、おかしそうに頭を振る。質素なライトが子供の目だけを反射した。
かれの歌は本当に素直でかれらしく、しかしたまに思ってもみないような声がどこからかしぼり出され、咆哮、細く、太く、余韻をもたせ、甘くなど茶目っ気が見えて、飾ることが、はたまた飾らないこと、どちらが本当なのだろうか。かれらしさ、というようなものはわたしが思っているだけのまぼろしなのではないか、と、思えた。
かれの妻と子供が来ていて、わたしたちは見知りだったので挨拶をし、世間話をした。

子供がうまれる前、まだかれらがふたりだったころも同じようにかれらの音楽をききに来たことがあって、終演後にアルコールを勧めたが、妻はソフトドリンクを選んだ。その時から、ずっと前から、彼女は意識をして、選択をして、準備をしていたのだ。というようなことをたまに思い出す。子供がうまれてからは輪をかけて――というかなんなのか――彼女は自然な食物しかとらないそうだ。安全な野菜、安全なお肉、安全なお水。そうした決心の果てに自分の世界があることを子供はまだ知らず、砂糖の入ったコーヒー飲料のペットボトルを弄んだが、口には入れられず、やんわりと取り上げられて、また掴む。

反復で出来上がった世界。いつか砂糖だの炭酸だののこと知ったらシビれちゃうんだろうか。シビれちゃうよね。その日のことも知らないで、子供は無邪気に笑って、わたしたちも笑った。窓から見える暗闇と室内の明るさの境目がにじんで見えた。とけちゃうような夜だった。