紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


ふくらんでいる

酔っている感じってけっこう好きだ。つまり、アルコール以後の世界。まず頭の中がふわっとして滑らかに転がりだす。とても冴えてる感じ。感情も言葉もゆたかになり、ワォ、わたしいけてるじゃんってなる。とにかく楽しい。歩いてみるとまっすぐに歩けないのはなんでなんだろう。頭はこんなにはっきりしてるのにね――というのが勘違いなのはみなさまご存知のとおりなわけで、歩みも思考もアルコールに浸食されているのだよ。とはいえ、ただ中にいる間は感じているシャッキリ感がすべてなわけで、楽しいお酒は楽しいお酒は。

帰り道、急に詩的な気持ちになったり、あの曲がききたいってなったりして、しかし自転車で音楽を聴くのは怒られてしまうご時世、最近はプレイヤーをわざと置いて出たりしている。飲酒しての自転車運転も禁止禁止禁止の嵐、なんだか突如車に轢かれるというような想像を時おりしてしまうわたしだけれど、その前に交通法規に縊り殺されるのでないかという気すらする。オオ怖い。おとなしく公共交通機関で帰りましょう。

ほんとうは5人で会うはずが、不慮の怪我や病気がかさなり、集まったのは3名で、しかし、わたしとしては気楽なふたりが残ってくれたので、予定どおりよりかなり楽しくなってしまった。ちゃんと話もきいたし。きけたし。ただ自分のこととなると、なかなか口がすべらないのだなと再確認し、話したい人には話せるようになりたいと思った。酔った頭で。無責任なその人に「今の仕事を本当にずっと続けるのか」と問われて、いやもう本当に無責任無責任。答えはノー、完全なるノーなんだけど、いざ口を出るのは曖昧なもにょもにょという言い訳ばかり。思い切りが足りないのだった。しかし、きかれてよかったありがたかったとも思っている。

それで、これは今日のメモから。

「誘われるのを待つ、みたいな姿勢はやめた方がいいと思った――しかしそうした『短所』を克服し続けた挙句、個性のない人間になってしまうのだろうか?」

自分のよろしくなさそうなところを自覚して、治していこうと思ったのだけれど、いくつになっても人は変われるというところを見せつけたいわけですけど、それを続けていった人間はどうなってしまうのだろうか。最近ずっと「ロボットのような人間」のことを考えていて、それは怖い。

お酒を飲んだ帰り道、24時近いその西の空には半月がかかっていて、「あ、上弦の月」。そういえば少し前に旧暦の四月一日があったのをわたしは知っていて、旧暦の一日は新月と決まっていて、だから、「ああ、ふくらんでいる」と思ったのだ。

 

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この流れで紹介するのかと自分でも思いますが、「ふくらんでいる」というところでもたまーに書いています。わたし以外にも十数人の人々が、呼吸し、さわめき、大きな声、小さな声、そしてときに交差しています。オムニバスの日記みたいな感じです。眺めていると楽しいものです。というご紹介でした。