紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


思うだけではまだ遠い

本来的にひきこもり気質なので、なにもない日はできるだけ家にいたい(その反動で出かける日は全部の用事をすませたい)。雨の日なんかは特に。一歩も外に出なかったので、今日の天気は知らない。晴れてはいないらしいってくらいだ。そうして、豚肉と大根を煮ていた。料理の手順とキッチンにある鍋などを勘案して、作業をするのがパズルみたいで楽しいのだ。そしてこれは性格だけど、使うものを全部机の上に出して、終わって順に片づけていく。だからわたしが作業しているときの机の上は地獄みたいな様相を呈している。仕事のときもおんなじなので、机の上に書類を積み上げてしまう。

エントリを書いたあとのレスポンスについて、さっき書いたのだけど、アップして一息ついて、しまった! って思って。それはもしかしたらtwitterとブックマークが反響しまくるというイメージがあって(くわしくは読んでみてください)、でもそれはバブルだから無意味だという風にとられてしまうかもなーってことで、みなさまのブクマ行為やtweet行為についてどうこう言いたいわけでなく(全然思いもしなかった)、ただわたしの耳にインターネットの残響音がピンポンパンと幻聴が(それこそ実体のないやつだぜ)届いているのを記述したかっただけなのですーきゃーうわーって思いまして。わたしの性格として「一言多い」と「気にしい」という最低の組み合わせが乗っかってまして、自分で言って自分で気にするとゆうひとり追っかけっこがはじまってしまうの。たぶんみんな気にしていないよと自分に言い聞かせる言い聞かせる言い聞かせる……

話は変わって、twitterとかブログってそもそもカッコでくくってくれる装置なのだけど、それを忘れてか気づかずに、「思った」ってつけてしまう。わたしが書けることで正しいことなんて「思った」ことしかないと思うので。さすがにうるさいので、いつも記事を書いた後に時間があれば確認して、削ったり他の語(「考える」とか「想像する」とか)に置き換えたりしている。

「思う」が強すぎて、わたし個人から離れられないなと感じることも多い。情景を書こうとしたら、言いきりと思考がまじっていいなぁと思うのだけど。そう、これ、これね。まじっていいなぁ、で止められないのがわたしの病理と思うのです。やっぱり言いきれない。ふふ。

「思う」(と類似の語)をつかうことで、次数がいっこ上がるので、それがポイントのような気がする。これを禁止するとひとまずはなにも書けなくなってしまうので、やめられない。のだった。(「思う」とそれ以外に分けたらなにかわかりそうだ。とりあえずは、そんな感じでいいとわたしは思ってるんだ。ね)