紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


亀の不在を見世物に

亀はお亡くなりになったとのことです。萬年の命があるとはいえ。いきもの。どうやら溺死らしい。生命。そんなばかな。まだ私たちを竜宮城に連れて行ってくれてない。

「でも、玉手箱はもらっても困るじゃない」

それはそうなんだけど。

「不思議ね。夢をみたの。私は水に浮かんでいて、私って泳げないけど、夢の中では薄い膜みたいなのに守られていて苦しくない。とても安心している。視界はオレンジがかっていて、向こうはあんまり見えない。友達がいる気がして、怖くない。私はゆっくりと手を動かしてどうにか前に進む。魚になっちゃったと思って起きたけど、たぶん亀だったんだわ。足があったもの。もしかしたら前世の記憶かもしれない」

「そう」

私たちは散歩に出た。川沿いは整備され、行儀のよい植樹がされていた。春になると桜が一斉に咲いて花見でにぎわう。今日はそれほどではないが人が出ていた。太陽が暖かく、親子連れも目だった。風は冬と春とを乗せていた。

「お墓はつくったの?」

「なんの」

「亀」

「知らない。実のところ、おれは見ていないんだ。いない間にぜんぶ片づけられていて」

 「そう」

「本当は死んでないんじゃないかと思うんだ。逃げ出して、ホラ水槽に石を重ねて階段みたいにしてただろ。それで抜け出して、もしかしてトイレとかから下水道に出て」

「その川を泳いでいるかもしれないのね」

「そう」

下水管をとおって川に出るその瞬間は視界がひらけ、薄暗いのがいっぱいの光に包まれる。水はにごっていて、見たことのないものが浮いている。外はいろんな音がする。たくさんの人の声。かいだことのないにおい。食べられそうな草。息をするために時おり水面から顔を出す。自由になったと亀は思う。

かれはまだたまに水槽を洗っているらしい。いちど掃除を手伝ったときに、私を噛んだあの強い力。野生。亀にも歯があるのだ。

うちには亀のいない水槽があるんだよ、と言って見に来てくれる女の子はいるのかしら。