紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


金太郎飴のような

ぼんやりとしていたら手を放してしまいそうな日々だ。悲しいことも多い。なんだかもう本当に。

わたしが、今ここで、いくらかの期間、なにかを書いているということは、わたしにとって大切なことだ。自分は単なるいちプレイヤーであり、(残念ながら)ずば抜けた才能もなく、有象無象であると自覚する。その一方で、わたしが書くことはわたしの個別性であり、★やらブックマークやらコメントやらをもたらす人との邂逅の一回性を感じる。トクベツであり、フツウである。これこそはまあセカイというものの秘薬なのだろうけど、現実においてそう感じることがあまりないので、この仮想でチュッと蜜を吸っているのだ。

現実において。おそらく自意識が巨きすぎて、ちゃんと物事を見られていないようなのだ。偏りや傾きが。それはそれで楽しいのだけど、だれとも共有できないような気がして、そういうときはここに逃げ込んでくる。

日々の書き物のことを考えると、やっぱり大きな流れがあって、それは世界で社会でニュースで趣味で思想で生活だ。他者の流れもぐいぐい引水してされて。遠目から見たらゆったりとした微分積分のグラフのような似た幅の繰り返しなのだ。その荒なみなみを越えていくわたし(そしてあなた)、どのくらいの高さかはわかりませんが、いつかウネをすっぱと切って切って切って切って……金太郎飴のような同じ模様の、でもちょっと違う顔のひとつひとつを。手のひらに乗せて上げますからお召し上がり下さい。明日もまた切ります空。いっつも違う顔がいいのか同じ顔がいいのか、そもそも意図して同じ顔がつくれるの可。とりあえず今日はこんな顔になりま下ね。

★(隔離)

朝一で名言みたいの出た。

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と思ったけどたぶん名言じゃないわこれ。