紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


なにかがこもっている

調子が悪いということに気づくのは終わってからか、少なくともその中途のようだ。昨晩のエントリはなんとか書いたけど、ずっとその場で足踏みしているような気分だった。このウェブログは他人のために書いているわけではないと言い訳しながら、「公開する」ボタンを押したわけだけど、翌朝に反応を確認するのはやっぱり楽しみだったりする。

自分の中で消化不良だとかいまいちだったなと思っているときは、確認するのが怖い。それでも何人かが読んだんだと思って安心したり心がざわついたり。思いもつかないところを指摘されたりして、はっと気づかされることもある。そういうときは、他者のおかげでエントリの意味が変容するのでうれしい。

自分が自信を持って出せたエントリはよくまとまってるって思ったり、情景の描写がうまくいったとかで、そういうときは、ハイ見てください、よくできてますよ褒めてくださいっていう気持ちになっている。全然心がざわつかない。わたしは傷つかない。完成品みたいなもので。そういうものを出していきたいと思う反面、そうした自分が傷つかない文章だけを書くことにこだわってしまうのもよくないんじゃないかと思う。そんなアンビバレントな気持ちの中。

でも書くことによって傷ついて打ちひしがれてしまう文章のが優等だってわけじゃないんだよ。傷つきたくないと傷つきたいの間をバランスとって歩いていく。のだ。のか。たぶん両方を持ち合わせた文章っていうのをめざしてるんだと思う。よ。

仕事中、イライラして、他人に合わせるのはストレスだっていう真理にたどり着いたのだけど、けっきょく空腹でいらついていたんだってわかって。さっきまで絶対に真理だと思っていたことがやすやすと否定されて、あー。なんか。あー。なんか。ってなった。「他人に合わせるのはストレス」っていうのはある面では真理なんだけど、「コンディションが悪い(空腹など)と単純に真理を決めつける」っていう真理のが上ゆく真理なのだ。

お休みの日に、洗濯と掃除をして、それから豚の角煮をつくった。角煮のレシピはいろいろあるんだけど、あの手この手で脂を除去したダイエッター向けのレシピというのを参考にした。ダイエットする人が豚の角煮を食べるのかという根本的な疑問はぬぐえないけれど、いいじゃない。だれにだって自由はある。ネコアレルギーのネコ好きがいたっていいし、0点だってチャンピオンである。

しかしまあ、脂というやつは。それもばら肉の脂というやつは。次から次へと出てきては煮汁にうかぶ。過熱している間はともかく、一晩経つと、白いグニャグニャが鍋のここやそこにねっとりと。固形化したものはすくって捨てればさらにカロリーオフ! ダイエッターたちの情熱がそこに。白い脂は青春の証、にきびをつぶすときに毛穴の奥からにゅるっとでてくるあれに似ている。もしくはチンアナゴに似ている。

 

ゆらゆらチンアナゴ (ほるぷ水族館えほん)

ゆらゆらチンアナゴ (ほるぷ水族館えほん)

 

 

わたしたちの奥にも脂が眠っていて、ときに皮膚に炎症を起こす。取り除きたいけれど、全部をとってしまうわけにはいかない。自分の中からときどきにゅるっと出てくる。もの。角煮の脂はすくって捨てる。全部はとりきれないけれど、受け入れてすくい続けるしかない。のは人生と似ている。とかなんとか。


豚の角煮のレシピ(作り方) | とろとろ・ためしてガッテン流

後半脂除去のがメインになってる感じだけど。おいしくできました。