紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


双方ストーカーの件

わたしの趣味のひとつに、神様(同居人)ウォッチングがある。インターネットは便利なもので、そこには過去の彼も現在の彼もまあまあに存在しているのである。というわけで、面と向かっていなくても自室のPCで、外出中に手のひらサイズで、手軽に好きな人のあれやこれが楽しめる。素晴らしい時代がきたものだ。

twitterにせよfacebookにせよ、個人が生身で世界に晒されているというのはものすごいことだと思うのだけど、それは素晴らしさであり同時に危険でもあるが、インターネットという単語にくるまれた世界は後者をなかなか認識させない。ハンドルネームというものもあるが、それが完全に機能している人とそれほどでもなく機能している人がいたりする。

神様。わたしが同居人そして恋人のことを神様と呼ぶのは、彼がわたしにとって神様(のような存在)だったことがあるからだ。これは前にもちょっと書いたけど。そして神様はひとりではなく、複数でいて、なので本当は「神様たち」なのだった。

神様たちはいろいろあってばらばらになって、そのうちの一人はやっぱりいろいろあってわたしと一緒にいるし、他の神様はまた日本のどこかにいるのだ。いい日旅立ち

そんなわけで、わたしが神様(たち)のことをインターネットで知るときは、同居人としてではなく、(元)神様として調べているときが多い。信奉というかファンみたいな感じで。そういうときは、恋人としてではなく、憧れの人という立ち位置で気持ちにひたっている。ので、いろいろ失格だよなーと思って、そういうことは言わない。神様が神様たちだったころの話はあんまりしない。神様もしない。

なので、現在の自分たちのことを考えると、足場がなんにもなくて驚く。本当はあるんだけど、濁った水の下に隠れてるんだな、これが。その水底で。仄暗い水の底からわたしは神様(たち)のことをチェックして満足感を得る。

昔の神様のことを知り直すのは、復習でもあり、予習にもなるので便利である。好き嫌いとか本人にきかなくてもわかるからインターネット様々だ。嫌がられる行動を回避できるし、客観的にみることで適度な距離感を保てる。はず。だぜ。

恐ろしい趣味(そしてわたし)と思うと同時に、神様もわたしのブログをこっそり読んでいた過去があるのでお互い様である(本ブログは読んでないと思うけど。昔の話)。ねんのため、twitterは見られてるかもなーというつもりで運用している。念には念を。

お互いに。お互いにストーカーであり、被ストーカーである。そういう意味では似合いであるという気もするが、他人に説明しづらいという点は変わらないことである。現在しかないってどうなんだろうね。

そういえば最初にマイミクになろうって言われて断ったのでした。

ストーカーの極意は、安易にSNSでつながらないことだと思うのです。が。

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懐かしのmixi。マイミク断っても、つきあえるっていう好例に。ならんかな。