紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


シェフ - あと半年2(とらわれるということ)

   

 

シェフは太陽みたいな人だった。ということにしよう。

はじめにに書いたけど、彼のいいところはたくさんあった。めちゃくちゃキラキラしてて(ギラギラかもしれないけど)、パワフルなのだ。太陽みたいだけど、行き過ぎてブラックホールになっちゃったみたいな気さえする。明るくて楽しいから人が集まってくる。

 

満足できるかな? - learn to forget

昔にこんな記事も書いたりしてたのだけど。そう、これはシェフのこと。

 

彼に優しくされたい人たちが集まって、取り込まれる。本人たちはどちらも気づいていない。そうして、拡大して拡大して、シェフの自己とか自我みたいなものが大きく膨らんでいった。その巨大なものがイコールシェフではなくて、他人の期待とかを取り込んで、自分が大きくなった気がするのと、協力しますっていう人の手を自分のものと考えてしまうようになったって感じだ。気持ちの面と、人力の面だ。

三国志とかのゲームが好きだったから、そういう感じなのかもしれない。武将を配置してスタートボタンを押すと、システムで勝手に動き出す。配置さえ上手ければ、なんかうまくいって、天下統一できる、みたいな。よく知らないのでごめんだけど。けれど、頼りにくる人の大半は強い人じゃなかったから、ゲームみたいに望む動きはしなくって。それでトラブルになることもあった。

 

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photo by josefnovak33

 

幻想みたいなハリボテのようなものがシェフを覆うようになっていた。そんで、それはわたしも例外でなく。いつしか、シェフの影響下に入ってしまったんだと思う。それは悪いことだけではなくて、感情をあらわすとか、楽しく過ごせるとか、明るいシェフの模倣をすることで、こうすればいいんだと学んだり。役立つこともある。お手本の先生みたいな人だったのだ。ちょっとだらしないけど、ミスもカバーできる素晴らしい人とか思ってたのだと思う。

そんな先生が不機嫌にならないように、怒られないように、すごく気を遣っていたところがあって。なんか。うん。物わかりのいいようにしていた。だって、機嫌よくしてたら最高の人だからね。

なんのときだったか、「それを言ったら、おれがどういう気持ちになるか考えて言ってんの?!」って言われたことがあったなぁ。えー。って。わたしがどういう気持ちでそう言ったかは考えてくれないんだーって。なんか。そういうことはちょいちょいあった。けど、流してしまっていた。だれかにシェフのこときかれたら「あれもできてこれもやっててすごいんだよー」って言ってたと思う。でもたまに家でひとりで泣いたりしてた。

仕事。それも近い仕事だったから、流せないことが増えた。流したら、わたしも他の人も困ってしまうのだ。そこで、わたしとあなただけでも幸せならいいとはならなかった。恋人としては間違えたかもしれないけれど、人としては間違えていないと思う。

でも、別れは切り出せなかった。そもそも頭になかった。職場の人とかシェフの家族への体面とか。そして、先生だったシェフを失うことはできなかった。そうしたら、わたしをつくっていたものを否定することになってしまわないか。価値の解体だ。そんなになったら、自分はどうなっちゃうんだろうか。頭ではシェフのやり方に疑問を持ちながら、心の奥深くでは手放すことができなかったのだ。

シェフの機嫌をそこねないように、注意深く「お願い」をしたり、それもきいてもらえなかったり、わかったと言われて次の日には忘れられていたり。「忘れる」というのはずるかった。人は忘却は責められないから。その一方で、わたしは怒られることが増えてたりして。ミスしたとかじゃなくて、感情で怒られる。おれの気分を害するやつは悪。というような。

すごく疲れていた。そして、離れられないと思っていた。