紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


シェフ - あと三週間

   

 

恋人が浮気をしていると知ったら、人はどうなるのか。

わたしはとにかく彼の携帯をチェックする人になった。シェフは相変わらず堂々としていて、携帯には無防備だった。覗き見するチャンスはたくさんあって、メールのやりとりも、着信の交換も。飽きることなく見ることができた。なにかの間違いであってほしいと思ったし、決定的な証拠を手にしたいとも思った。

それは、ドラマチックな恋愛のはじまりだった。のかもしれない。ふたりが仲良くなる瞬間瞬間に逐一立ち会っていたわたし。なんか感動的だし、表彰とかされてもいいんじゃないか。ふたりから。 

 

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photo by galeria_stefbu

 

向こう様。わたしは、彼女のことを向こう様とお呼びすることにした。どこまで言っていいのだろうね。彼女はいくらか歳上で、身体が丈夫でなく、繊細な職に就いていた。当時わたしが考えたことを正直に書くならば、多分だけど、wetな女だった。ただこれは、計算でやってた可能性もあるので真偽はわからなかったけど。

 

夜にメールがくる。

「相談したいことがあります。電話してもいいですか?」

電話してくると言って、シェフが出ていく。30分はかかる。

 

歳上の女性もそういう手つかうんだなーと思ったりした。相談したいって言って仲良くなるのは常套手段だけど。歳上はオトナの余裕ってやつを持ってるものだと思ってた。

まあでも、そういうのはシェフの大好物で。困ってる人の相談にのるのが大好き。たぶん、頼られる自分が好きなのだ。わたしはそういう頼り方はできなかったから、嬉しかったのだろう。つまんないことするなと思うことしかできなかった。

 

少しおかしくなっていたのは確実で。常に心臓がしぼられているような感じがあって、傷口をのぞいたらいつでも涙が出るようになった。追いつめられているような変な思考になっていたと思う。心配はされたくなかったので、誰にも言わなかった。職場の人にはもちろん、わたしの友人にも。愛だの恋だのとは関係ありませんみたいな顔して生きてたからね。職場の人の好奇の目にさらされたくはなかったし、シェフの弱みをみせるわけにはいかなかった。つーか、職場に恋愛持ち込むな! って態度でいたからね。言えるわけないのだ。

当時、別々に住んでいたけど、わたしはシェフの家に入りびたりになった。携帯を見るため。ではなくて、とにかく不安だったから。一緒にいれば、連絡はともかく、ふたりは会うことはないからね。浅はかな考えだけど、そのくらいしかできなかったのだ。

 

そんなふたりだけど、ある日、会う約束をしているのを知った。仕事では定期的に会っているのだけど、それはふたりで。夜に。素敵なお店で。お酒でも飲みながら。なんてね。なーんてね。

 

メールはたくさん読んだけど、これはシビレたね。胸の高鳴りと、指先と頭の先の冷たさ。自分の重さがスッと沈んで、立ったまま意識だけがめまいのような。それでいて、とても中毒性のあるトピックだった。何度も何度も確認した。中止にならないか。延期にならないか。場所はどこなのか。期日は数日後だった。

 

どうしようもないわたしは、それに賭けることにした。

その日は用事があるからと釘をさされて、シェフの家には行かないことになった。仕事のスケジュールは把握していたから、夜に別件で外出することはわかっていた。その日の夜に届け物をしないといけなかったのだけど、その仕事はわたしの目の前でするっと他の人に託された。「ありがとう」に何重もの意味をみた。背中を向けて、挨拶に手をあげて、シェフは出かけていった。二番目くらいにいい服を着ていたのを覚えている。

賭け。会ってもいい。なにしてもいい。終電でいいから、帰ってきたら許そう。と。許すったって、状況は進み続ける中で、その時は許せても、将来的に許せない状態に向けて走り続けているのだけど。その時はそんな考えにすら及ばなくて、賭けの発想だけがわたしを縛った。

異性とふたりで飲酒をすることも、そら世の中にはあるだろう。帰ってきさえすれば、問題ないのではないか。場所はだいたいわかっていたから、終電の時間を調べて、帰れるくらいのタイミングでメールをすることにした。ちょっと面白い写真もつけることにした。

とても長い夜だった。