紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


シェフ - あと半年

   

 

結婚願望が強かったシェフとはちょっとずつすれ違っていて、決定的になったのは、わたしが学校を終えて、働くようになってからだったと思う。わたし自身はもともと結婚願望が薄くて、子どもを持ちたいとか思ってなくて。今でもそうだけど。

シェフは結婚をしたがって、子どもを持ちたがって、わたしの親に会いたがった。わたしはシェフの親族と面識があったけど、自分の親に紹介するのは気が進まなかった。なんでだろうね。学生のうちは、学費を払ってもらってる身で、そんなことは言えないなと思ってた。報告すること自体がめちゃくちゃプレッシャーで。きちんと紹介することはしなかった。してなかった。

http://www.flickr.com/photos/38991571@N00/14344087335

photo by 藍川芥 aikawake

結婚願望はなかったくせに、シェフとはずっと一緒にいるような気がしてた。家族にも会ってしまっていたし、仲もよかったし、いったら半分家族みたいな感じだったし。その時点で、もっとちゃんと考えてたらよかったのだけど。

葛藤を避けるわたしは、なんとなく、一緒にいる未来をにおわせつつ、ただぼんやりしているだけだった。結婚に現実感はなかったし、ふらふら生きていたかった。そうだ、進学するつもりで就職活動もしなかった。

でも、すでに働いていたシェフの「まだ親に金を出させるのかよ」の視線と、学生期間が延びたらやっぱり親には申し訳がたたないから結婚はできませんよねの二本の柱に囲まれて、就職をした。シェフの口利きでだよ。

もうこれもどう考えても間違ってるんだけど。どうせ結婚するのだから(結婚願望ないなら、これも矛盾しているんだけど)、シェフの仕事を手伝ってもいいんだということを考えた。働いてお金をためて、自分のお金で進学しようと思った。その一方で、シェフには未来をちらつかせていた。わたしは、シェフも自分もだましていたようなものだ。よくばりというものかもしれない。

 

実際に働いてみると、お互いの違いみたいなものが明白になった。それまでは流せていたことがはっきりとあらわれて、実際に(悪)影響を及ぼすようになった。

たとえば、シェフは社交的で、わたしとの関係もオープンにしたがった。わたしは、どちらかといえば、秘密にしておきたかった。隠しておきたかったわけではないけれど、それで色眼鏡でみられたり、贔屓されてるとか思われたくなかった。ふだんの生活圏が別ならば、そんなに困ることではないのだろうけど、お互いが目につく圏内でのことが多かったので、ストレスになっていた。

また、仕事人として彼をみたときに、がっかりすることが増えてきていた。限定するのは難しいのだけど、性格的にかなんなのか、とにかく仕事や人に対しての荒さ、粗雑さが気になる感じ。気になるのはわたしだけでなくて、周囲の人も気づくくらいに。いくら言っても直る気配はなかったから、生来のものなのかもしれない。

はじめはそれで悩んでる風もあったし、わたしも橋渡しをしようと試みたりもした。でも、いつしかそれが普通になった。業務の忙しさも相まって、日々に流された。シェフは怒りっぽくなっていった。変だなと思ったのは、急に忘れっぽくなったことだった。朝言ったことをおぼえていない。昨日言ったことをおぼえていない。人の名前が出てこない。加齢のせいなのかもしれないけれど。不自然なくらいに突然そうなった。怒りっぽさと忘れっぽさはリンクしているようだった。

その頃は、というかシェフの近くにいたからかもしれないけれど、すべてが目まぐるしく動いていて、気ばかりがあせった。動き回る人のそばには台風のような流れができていて、周囲を、そして本人の内面さえも崩壊させていっているように思えた。今思えば、忘れることでシェフの身体は彼を守っていたような気がする。

この話もこのへんのときのことだった。と思う。わたしも疲れていて、シェフに優しくするのは負けのように思えた。わたしが優しくされたかった。

想像もしないことに巻き込まれ、人間が変わっていくこと。学生のころには想像もつかなかった。今の自分の延長線に誰もがいられると思っていた。そういうことばかりではないのだった。嵐は急にやってくる。それが幸せにも不幸にもつながるのだろうけど。

この時期について思うことは。いろいろなことを自分で決めるべきだった。流されないで。すごくすごく難しかったのだけど。結果オーライという言葉もあるけれど。それでも。人に人生をゆだねる不安定さ。誰かに頼るのはもうたくさんだ。と思う。

自分で決めたうえでゆだねるならば、それは違うことなのかもしれない。けれど。