紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


親から子にできる唯一のこと。そんで失敗。

仕事。〆切の都合で数日前にがんばったため、昨日今日の余裕ができた。明日を休みにしてもなお余りある余裕。自習した上に早上がりしてみた。ちょっと悪いなとか思うけど、いつもやってる仕事ってなんなんだろう。定時までいるだけの業務なのかよ。

早上がりしたので、母に会いに祖母の家に行った。母はたまにこちらに来るのだ(参考)。

相変わらずだらだらして、おやつを食べるくらいなのだけど。なんとない時間を過ごして、別する。以前はごはんを食べたり、遠慮なく泊まってた(祖母の家だ)けど、神様と住むようになってからは帰るようにしている。そういう縛りができるんだなぁ。別れ際、わたしはとても寂しい。たった数時間のことなのに、なにをするわけでもないのに、その時間がとても大切でいとおしいものに思えて、この時間がずっと続いてほしいと思ってしまうのだ。なにも求められず、ただ目前の人の"子ども"でいられる時間。ずっといたら、それはそれで嫌になってしまうのはわかってる。ので、そんなんは幻想なのだ。しかしこの別れがたさは。

わたしの年齢(アラサー)って、結婚したり子どもができたりして、社会的にはもう”親”でもおかしくないのだよね。してなくても、結婚したいとか子どもがほしいとか言って、"親"に近づきたいっていう頃なのだと思う。それに逆らうように、わたしは結婚願望もないし(本当はちょっとあるけど、それは恋愛市場にいたくないナーって感じで)、子どもを持ちたいとは思わない(子どもは嫌いじゃない。めちゃくちゃ面白い生き物だと思う。けど、よそのお子様を甘やかすだけで満足だ)。わたしは、まだまだ"子ども"でいたいのだ。どこで間違えたのか、別に間違っていないのか、甘えるの足りないでここまで来てしまったのかしらね。

両親は甘えさせるのが下手な人たちだった。と思う。共働きで母親もフルタイムで働いていたから、0歳から保育所だった(らしい)し、友達の家の専業主婦なお母様方とは接し方はもちろん同じではなかった。若い時分で教育に理想があったのかもしれない。わりと厳しくされた覚えがある。ハグとかの身体的接触はほぼなかったし、口頭で「好き」とか「愛してる」みたいな心理的接触もなかったと思う。それがちょっと変なのかなと思ったのは、二十歳過ぎてからだったかな。食事も教育も与えられたけど、「愛」はもらってないなと思う。思っている。今もだよ。やばいちょっと泣きそう。その、もらえなかったものをもらえそうな気がして、別れがたいんだなと気づいている。まあ実際は、今までもらえなかったものが急にもらえるわけもなく。親については、永遠に失恋をし続けるような気がしている。

それは考え方の問題で、「もらえていない」と被害者ぶっている間はけして手に入ることはないのかもしれない。虐待をされたわけではないし、ふれあいがなかったわけではない。自然科学社会科学人文科学大好きな両親からは、たくさん知識と知恵をもらったと思う。考える方法や人生に対する態度など。背中で語る。すっごい大きな意味で愛してもらえてはいたのだと。そう考えると気持ちはかなり楽になる。禅問答みたいだな。完全にチャラにできないのはわたしのほしがりな性格のせいなのだ。

とはいえ、歳の離れた末っ子に対しては、上2人と違って、めちゃくちゃ甘いじゃん! って思っちゃうからやっぱり溜飲は下りないのだ。甘くできるんじゃんか! 具体的に書くとキリがないし、いらいらしちゃうから割愛するけど。

母親がわたしの年齢には娘を2人抱えてたし、もうだいぶ大きくなっていたはずだ。正直、あの人たちの性格からは考えられないくらい、ふたりは若い年齢で結婚して子どもをもうけている。情熱的な恋愛なんてしそうもないし、仕事も好きなはずだ。あんまり話をきいたこともない。聞くのが怖い気もするけれど、聞いたところではぐらかされそうでもある。若い両親については未知の領域である。みんなそうなのかな。

末っ子にかんしては、(親のことは別としても)折り合いが悪く、会いたくないって思っちゃうし、できることなら親にも同じように思ってほしいと思ってしまう。うわすごい子どもっぽい。親にも一緒に末っ子を煙たがってほしいのだ。

もちろん、そんなことはされないし、それが正しいと思う。親からしたら、全員自分の子どもなわけで、合わないから差別するなんて間違っている。親が子どもにしてあげられる唯一のことは、無条件で愛してあげること。それだけだと思う。ハグも言葉も教育も食事も副次的もしくは二次的なものだよ。家族で旅行に行くとして、末っ子にだけ連絡してなかったら、ひく。とはいえ、全員で旅行に行ったとしても、来なくていいのにとか思うことはわかりきっているけど。親に同調してほしいというのは、このままだと永遠のテーマになってしまいそう。

親に文句を言う気はないが(わたしは今のわたしで満足である)、孫を見たかったら(=適齢になったら、"子ども"を卒業してほしいなら)、「結婚はすばらしい」とか「子育て最高」って子どもに言い続けないといけないと思うよ。わたしは多分このままずーっとずーっと愛されたがる子どものメンタリティでいるんだ。外形的にはそんなの認められない年齢だけどね。情けないし恥ずかしいけどどうにもならんくて。隠して、でもひきずっていくのだ。

夕食。カレー。もやしタマネギ大葉のタイ風和え。ひじきの煮物。ゴーヤのふきみそ。神様(同居人)がいないのでひとりで。たまにはひとりもいい。めっちゃ楽ですよ。

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神様もピーターパンっぽいところがある。なー。