紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


買い物が放蕩で褒められる

虫がわいてからというもの、オオバの観察が欠かせなくなった。青々とした葉に穴があきはじめ、そうでない葉も端が茶色くなり丸まっている。何かが起こっているはずだが犯人はなかなか見つからなかった。小さな蜘蛛の巣のような白いもやもやがついているのがみられ、それでも葉はいたんでいった。インターネットに解を求めたところ、「虫がつくということは無農薬です! おいしいんです! 綺麗に洗って食べるのがよろしい!!」みたいな強弁を知恵袋に見つけてしまったがいやいやこれからまだまだ育てたいのだから光合成のために葉が必要なのだと思いつつ、葉水という調べてもよくわからない行為に一縷の望みをかけてシュッシュと水をスプレーしていたところ(たぶん葉に水をかけることを葉水というのだと読み取ったのですが)、糸くずみたいな白いうねうねを発見し、これがどうやら犯人もとい犯虫で、前出の蜘蛛の巣様の中にもよくみればこいつの仲間がいるのであった。小さすぎて気づくのが遅れたがこの体長でこんなでかい穴をあけはったんかという驚きがありつつ、ぞわぞわとしながら彼奴らを葉ごと摘んでどうにか遠くへやるんだった。翌日も翌々日もよく見てみればお仲間たちがおり、そのたびにわたしのオオバははげていき、3本あった株も2つはかさかさになってしまった。その攻防もどうにか落ち着き、残りの1株がこの夏を渡っていってくれそうだ。その隣では唐辛子がにょきにょきと伸びていて、花をつけている。白い小さな花だ。最近は雨ばかりで植物的には甲斐がなさそうだけどどうにかやっている。

前回書いたのだけど、お互いにかんする家事について、すべてが同居人にゆだねられたのだけど、やはり働きながらそれをするのは大変だよねと思ってしまう。頭の中はつねに次の献立を考えているんじゃないかと思う。少しの調整を経て、わたしの手元に(朝食べる)バナナ買う係が戻ってきて、そのついでに目についた野菜を買ってくるよう申し付けられた。がちがちに考えられた食事計画へのカンフル剤だ。大喜利のお題だ。日常にはずみをつけるためのジョーカー役だ。以来、食事のことはいっさい考えずに、バナナを買い、お菓子を買い、コーヒーを買った。要するに嗜好品の係であり、そのついでに青果のコーナーをさっと眺める。なにも考えていない人間の買ったアスパラガスがアボカドがふいに食卓にのぼるのを眺めた。

それである休みの平日のことだけど、買い物にも仕事にも飽きたという風の同居人を見て、久しぶりに買い物にいこうかと申し出た。「肉はあるので野菜を少し、魚の何かがあるといいかも」という指示のもとでかける。まずはバナナを確保してから売り場を適当にまわる。きのこ、青菜、きゅうりにトマト、それから半額がちなコーナーにも寄る。何に化けるかのヴィジョンがまったくない野菜たち、焼くだけの魚を選んで、ヨーグルトとビールで終わりとする。これだけでかごは立派に一人前だ。持っていたエコバッグにどうにか全部詰め込む。帰り道はだいぶよたよたと、食糧を巣に持ち帰る気持ちが強くなる。わたしは親鳥だ。なんとか玄関をあけて、部屋から出てきた同居人が荷物を受け取る。買ったものをキッチンの机に広げながら盛り上がっている。久しぶりのわたしの放蕩な買いぶりを見られてよろこんでいる。中でも変わり種のぎょうざを褒められた。よくわからないのだけど、わたしは「攻めた買い物をする」のだそう。買い物に保守も革新もあるものかと思うけれど、そしてこれまでとは違う無責任な放蕩買いをいつまで、どこまで楽しめるのか(楽しんでくれるのか)、疑問は残るのだけど。食卓の中核を同居人がにない、わたしは外縁になったことでめちゃめちゃ楽だなぁと思ってはいる。ひとりでぜんぶやるのはたいへんだったとは改めて思っている。

耳をすます

月に一度の全員出勤の日の休憩に同僚4人でやけくそみたいに駅前のロイヤルホストに行った。通常運転に戻る前日だ。感染者数はどんどこ伸びていて笑えない。この状況がはじまってすぐの頃にもこのロイヤルホストには4人で来ていた。そのときは非常事態にどこか浮き足だっていた。ずっと忙しかったのから解放された気さえしていた。

そのときは正真正銘4人だったわたし達だけど、4月に入職してきた人がいて、でも彼女は昼食の約束をしているといってべつに休憩をとりにいってしまった。4という数はレストランのテーブルを占めるには最高だ。こじんまりとしながら、全員の顔を見られる。通された奥の席は混んでいて、みんなマスクをとって叫ぶようにしゃべっていた。

わたしたち、家族みたいに見えますかね、というのは自然に思ったことだったけど、それを尋ねてみたのは自然ではなかったかもしれない。隣に座っていた先輩女性はにやっとして、それでもいいよ、といった。向かいに座っていたおじさん(同僚)は、聞き取れなかったから、ん? という顔をした。この場にはいない新人さんのことがよぎった。彼女は先輩女性と折り合いが悪くて、それは彼女の愚痴によって全員が知っているところだった。わたしは両人とも好きなのだけど、どちらにもいい顔をしているようで、自分のずるさというものがあるとしてそれを憎らしく思う。

なんとなくわたし達はまるになるような気もするが、それは誰かが(または全員が少しずつ)妥協したうえでのまるなのだろうか。へんな形の図形でもいいように思うが、わかりやすい調和に収束していく力がどこかではたらいているような気がして注意をするが、自分にそれを止める力があると思えないまま耳をすましている。