紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


ゆずれない土日

うー。九月がすぎていく。今週末も頭がぼんやりしているが自分で詰めた予定のせい。「休む」の予定の入れ方を自分に教えなくては。もしくは仕事の日の休息の質を見直す、など。仕事について、好きすぎて毎日働けちゃう、みたいな忠誠心もあるだろう一方で、わたしは休みたいときに休める、のが大事だ。土日も休みたいけれど、平日休みも好きだ(ここはつきつめると "毎日休みたい" になっちゃうので目を背ける)。ゆずれない土日(または平日)を休めたらもうあとはいつだって出勤しますの気持ち。以前は休日のたびに、休日が楽しすぎるから仕事をやめたいと感じていたけど、こんな楽しい休日があるんだから明日もまあ働くか―にシフトがチェンジ。好きなことばっかりやってても、仕事やめたくなるわけじゃないよなーと思う。年々じぶんのことがわかるようになっていて、それはよいことだ。物忘れとか言葉が出てこないとかも嫌になっちゃうんだけど、人はそんなにたくさんのことを持てないしなーと思い、むしろあれもこれもみんな忘れられていくという事実が気楽だし、それ前提でもろもろやっていこっ、ってなっている。

同居人が怪我して帰ってきて、薬とバンドエイドの係になった。事故が起きると身体と精神が硬直して、なにもかもやる気が起きずに流してしまうの、ちょっとわかる。わたし(第三者)としてはちょっとどうなのという対応でも、褒める、というのはおかしいけど愚痴をいったりしないようにしている。小言を言われて次の気を削いでしまうのはよくない。数日経って身体が痛み出したそうで、整形外科に行ってほしいが、言えば言うだけ行きたくなくなる人間には、行ってほしいと伝えるにとどめる。けっきょく人は自分の意志でしか動かない。翻れば、自分が納得してることはするということで、そういう気持ちをくすぐっていきたいと思ってはいる。でも、自分がそう考えるからといって、他の人にもその対応を強制するのはトーンポリシングなのかーーーという惧れも。世界はややこしい。人間もややこしい。怒りを笑ってはいけない(悲しみも)。と手帳に書きつけてあった。途中から話が変わっている。