紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


よっ、れいわ!

なんていいながら、その日とその他の日が、その一瞬とその他の一瞬に差異も上下もなくて、等価であるって考えたい派なのだった。これは正月とかもそう。でもそういう人間がそのタイミングでするのにふさわしい態度ってなんなんだろう。と思うとよくわからなくなる。かたくなに触れないのとか、意識しすぎではって思ってしまうから、さりげなく令和にふれときたいみたいな葛藤がある。とはいえ、正月は何度も経験してるけど、改元なんてそう何度も経験できないし、みんなこのタイミングでとる態度なんてわからないんだよね。ゴールデンウイーク中だからややこしくなってるのかも。たったの一日、祝日になるだけだったらそんなにウキウキしてない気もするね。

元号初のライブも行った。対バンがういういのロックでこっちが恥ずかしくなってしまった。こんなに好きなあの子がぼくにふりむいてくれないのはなんでなんだ、でも、届かなくていいから歌います、歌わせてください、音楽はぼくを救ってくれた、、、手あかがつきまくっている。きっと本当にそう思ってるし、そうなんだろう、だれかと同じ感情になることなんてたくさんある。でも、そう、誰かに言わされてない? って思うと怖くなってしまう。ありがちな言葉、要注意だ。目の前でそう歌ってくれた人のことは信じたいんだけどね。そんな義理もないか。

トーンポリシングについて、あるなーと思ってたけど、ふと、少し前にわたしがしてしまったそれがトーンポリシングだったのかもと気づいて、それから心を入れ替えました。気づく前までは一応折れたけど心の底では許してないぞという気持ちだったのですが(最悪か)、気づいてからはそんなのはしなしなと萎れてしまって申し訳ないことをしたと思っている。今度会ったときにあらためて謝りたいと思っているのだけど。

トーンポリシング、つまりは「言いたいことはわかるけど言い方がなってないぞこら」という上から目線で、言い方で足切り、はいやり直しというわけなのだけど、自覚せずにやってしまっていたし、この裏返しには「自分は人に伝えるときに工夫してるんだからそっちもするべき」という自分がやってきたことを人に強制する意識があると思ってダブルでげんなりしたんだった。一般的にトーンポリシングは強者から弱者に行われるらしいのだけど、一見対等に見える関係(友人どうしとか)でも起こる可能性があるのと、友人どうしでもお互いにポリシングしあうみたいなこともあるんじゃないかと想像した。それはマウントとりあいみたいな感じになるのかな。悲愴感なくなりますね。ちょっと笑っちゃいそうなんだけど、あんまよくないですかね。