紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


れいわだから

れいわ、つぶやいてみる。れいわである。テレビなど聴いているとどうも発音が違っているようだけどまあいい。そういえば「レンタルなんもしない人」もわたしの思っていたのとイントネーションがちがった。そうした差異をすこし不幸と思いつつ直すつもりもない。

すこし不幸な気がするのは平常運転で、いつもどこかが欠けている。気がしている。物があるのにない気がしている。時間もあるのになくしてしまう。自分は強迫観念っぽくない強迫観念が強い気がする。へんな思い込みで自分を追いつめている。

履歴書を出したまま連休に突入した会社があり、返事は連休明け以降になるような気がしている。そこまで来るとあきらめもつくというか、タイミングが悪かった気になる。もうちょっと面倒になっている。就活は勢いが大事だ。

就職氷河期のような世代的に就職が難しかった場合には時代が悪かったねとか言えるけれど、たとえば今はやってる仕事も30年前、100年前にはなかったりして(今の60代がYouTuberになりたくても当時はその職業がなかった)、就きたい仕事っていってもやっぱりタイミングだから、できることをやるしかないという気がする。

そういう点で公務員とか昔からある会社に勤めるとかは、おそらくこの先もあるだろうクラシックな仕事だ(たぶん)。あらゆる世代で想像されやすいし、それが一致しやすそう。むしろ農業とか一次産業の方がダイナミックな変化をしているのかも。

少し前につけておいた酵母をつかってパンケーキをしこむ。平成の酵母を令和にとか言いながら。このしゅわしゅわを味わいたまえとかいって同居人につきつける。同居人も酵母が置いてあることに慣れたみたい。はじめはおびえていたのにね。

同居人との間でいらっとしたことがあって、そのあと走りながらそのことを書くべきだと思ったけど、今はどうでもよくなってしまっている。なんだかな。休みの日は食事を作ってくれるというのでなんと連休中は洗いもの係だ。5日連続で食事をつくるのはけっこうしんどい(献立を考えるので息切れしてくる)。だから何日かはつくろうかと言ってみたけど大丈夫と言われたのでまかせている。食事を作らなかった方は食後に食器を洗う係になる(この分担って公平そうに見えるけどつくる方がぜったい100倍はたいへんだと思う)。だから許したわけじゃないんだけどべつに許すとか許さないとかのことではなくてムードみたいなもんだったから。れいわだから早く寝たい。