紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


プラネタリウム

深夜に出る飛行機に乗るので空港にいる。12時間以上飛んで別の国の朝に着く。たいしたことではない気がするが、日本はそのときおやつの時間とかで、ああこれが時差ぼけのもと、と理解する。が、ちっともわかっていないのだった。意味が全然わかってない。飛行機はただ飛ぶだけなのに、過去に向かって飛ぶ。日の出から逃げるように飛ぶ。逃げきれはしないが少しの抵抗、少しの勝ち。

同居人が見送りに来てくれて食事をとる。サイゼリヤの間違い探ししながら、互いの生きづらさの話をして、外食は気持ちを変えるね、生きづらそうって思われてたってきいて、ちょっとショックもあったし、でもこれだけ一緒にいるしわからいでか、という気もする。さもありなん。時節なのか弱気になることが多く、何かに追われている気がしてしまう。楽しいとは何だろう、とか思ってしまう。その時、その場にしか楽しさはなく、でもそれに罪悪感を感じるような、あーよくない感じ、と思う。その場を楽しんだらいいのかというのに不安が覆いかぶさってくる。もう考えない。最近の方法は考えない、です。

空港にプラネタリウムを観ながら食事をするところがあって、自分と関係なく動く映像が、上へ上へと、つまりわたしは下へ下へと落ちていく感覚にとらわれて酔いも手伝ってかこの世の深くに行く感じ。プラネタリウムなのにそのときは天頂が水面であってわれわれは深海に沈んでいくのであった。花を星に見立てたのか夢みたいなあざやかな球体が手前から奥へ小さくなっていく。無重力のきもちだ。すべてから遠のいていく。

少し前に短歌をみてもらう機会があって、世界と個人の境界がテーマみたいに思える、といわれて本当にそうだと思った。意識はしてなかったけど、それで多分わたしはずっとそういうことを書いていくのだと思った。予感。黄道にならべられた星とそれをつなぐ線、概念みたいな絵をぼんやりみたときに、わたしはそのひとつひとつの星になってしまって、どうしようもなくひとりだった。