紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


ワインの呼吸

スマートフォンで安い賃貸の間取りを調べていたら、PCの広告にも出てくるようになってしまった。住むつもりのない部屋。買うつもりのないマンション。は似ているが似ていない気もする。賃貸は驚くべき間取りがあるが、マンション(または一軒家)の間取りはどれも似たようなのばかりだ。多くの人が買うものは似たり寄ったりになるのかもしれない。うまく探せばもしかしたら独創的な終の棲家が検索できるかもしれない。

 飲み会、ばかみたいに笑って話している人たちをみて、声が大きくなっている、自分の目前の輪に耳をかたむける、カクテルパーティ効果、いる場所はほんとうは外なのに厚めのビニールで覆った場所で隔離されているから店内の喧騒とは切り離されて、いや店内がこちらの喧騒を切り離しているのだとも思い、大人になってもこんな大学生みたいな飲み会をやっているのが面白い。今回はちゃんと控えめにして聞く役にまわった。めちゃめちゃ笑って、その笑いは本物だけど、どこかで演技の笑いみたいな気もする。

する、した、している、していた、現在形、過去形、現在進行形、過去進行形?、現在完了形?、過去完了形?、このあたりから怪しくなってくる。

三島由紀夫、1年に1冊くらいのペースで読んでいて、好きな作家かといわれると難しい問題なのだけど、思想を賛成するという意味ではなく、単純に文章がすごい(が内容がうける)みたいな感じで好んでいる。このまわりくどく、たぶん本当は変なことが書いてあるのに文章力だけで文学になっているのがすごい。のだけど、描写がすごい、語彙力がすごい、知識がすごい、比喩がすごい、とかのほかに登場人物たちがややこしい内面をもっていて、それが外面や他者やはたまた内面自身を裏切ったりし、そこにギリシャの古典が投入されたりしている。その内面のややこしさ、確かにそんな複雑な内面があるような気がしてきて、自分の内面を省察して描写したくなってくる。ほんとうに、そんな内面を皆がお持ちか? という疑問も追いかけてくるけれど。読んだ後、また読んでる途中に思考がはっきりし、少し頭がよくなったような気がして、それが少し麻薬っぽい。麻薬が言いすぎとしたらエナジードリンクのカフェインのような。